カテゴリー別アーカイブ: 社長ブログ

2024

07.12

ほぼ、1年半ぶりに地方をまわる出張へ行ってきました。当社の業務ではなく、日本ポスティング協同組合のお役をいただいている身として、役員会および事務局に許可をいただき、長野県、山梨県を離れて、数県をまわってきました。(訪問先はあえて公表しませんが・・・そのうちに組合のHPでオープンになる予定です)

このようなご時世のため、なるべく必要最小限の方との会合と面談にとどめ、交通手段は、すべてくるまで行き来しました。私にとっては、1年半ぶりの長期出張でした。

 

久しぶりの長距離の移動になりました。見聞きするものが、すべて新鮮でした。

たとえば、このような恐竜がいる駅前でそばを食べました。この恐竜、ときどき首が動いて鳴き声?も発するんですよ。

ちょうどそこにおばあさんが歩み寄ってきて、なにかいい感じの写真になりました。

 

街中のいたるところに野球漫画のキャラクター像がある通りも歩きました。

 

↑ドカベンの岩鬼正美  と山田太郎

 

↑野球狂の詩の水原勇気と岩田鉄五郎

↑あぶさんの景浦安武

 

 

 

 

日本海沿岸のまちから、太平洋沿岸のまちへ1日で移動した日もありました。

ある町では公園に大仏を見に行きました。奈良の大仏より大きな大仏が日本にあるなんて、知りませんでした。昭和天皇のご成功婚を祝って昭和2年に建立されていたそうです。まだまだ知らないことばかりです。

 

階段横の仁王像もりっぱでした。向かって、右が「あ」(阿形)の仁王様、左が「うん」(うん形)の仁王様でした。

 

 

見聞きした風景だけではなく、ことばにも新鮮な驚きと発見がありました。

これは、日本海沿岸のSAの食堂に大きく書かれていたことば。

「草むしりや草刈りをしていると、草がのびるから草むしりができるんだなぁ」なんか、禅問答のようで奥深く感じました。

これは、太平洋沿いの工業地帯の写真を撮っていて、あとで気づいた看板のことば。

「人生に定年なし!! 警備員募集中」なんか、じーんときてしまいました。

 

 

そのなかでも、最も心に残ったのが、新潟県の北陸道を走行中に地元ラジオを聴いていて、知ったものがたり。「おおごうつぶんすいのものがたり」です。帰宅後にもういちどラジコで聞き直してしまったくらいです。

「おおごうつぶんすいのものがたり」については、次回のブログで取り上げたいと思います。

 

組合活動に関わっているおかげで、このような時期であっても1週間にわたる出張をこなすことができました。

やはり、人間は移動して、いろんな土地を見て、いろんな人に出会って、見聞を深めて考えることが大事なんだなぁと改めて感じた次第です。コロナ禍が落ち着いたら、民族大移動が起きるというくらいに旅行・出張・交通・異文化体験などが急成長するのではないかと思いました。

もう、ちょっとの我慢です。

 

 

 

2024

06.21

この1年間のマスクの進化は、すごいものがあります。もう忘れそうになっていたので、ここで思い出してみたいと思います。

思えば、昨年2月末からマスクが店頭からほぼなくなりました。少ない在庫のなかから、何とか1日持たせてようと様々なアイディアが産まれてきました。

マスクが無くなるとこれほど不安になる時代が来るとは思いませんでした。

4月から、政府が全世帯へ2枚ずつの布マスクを配布開始しました。私の家には、6月初旬に届きました。当時は、アベノマスクって言っていましたね。首相もこの1年で変わったんですね。随分と前のことのように思いましたが、たかだか1年前のことなんですね。

なんとも懐かしいマスクでした。小学校の給食当番のときに使用するようなものでした。いろんな批判がありましたが、助かったと思ったひとも意外に多くいたと思います。私は、1組使って、1組は、記念に仏壇に供えたままになっていました。

昨年7月ころからは供給量が増えてきました。値段は高かったのですが、コンビニのレジ近くに普通に7枚入りのマスクが置いてあるのを見たときは、「本当に買っていいの?」と思ったものでした。

その後、約半年で、マスクの供給量も安定し、以前のように安価で大量に手に入るようになりました。この間の、国産マスクの製造を開始した国内企業の努力はたいへんなものだったと思います。

いまでは、こんなカラフルなものもあります。

これは猫。

これはブタさん。

これは恐竜?

目を転じて、町の中を歩くといたるところにマスク姿の像が目に入ります。

ライオンも・・・・(目がさびしそう)

カエルも・・・・

七福神の布袋様も・・・・(大きいなぁ)

最近では、福島県会津若松の高さ57mの巨大観音像にマスクがかけられたとニュースになっていました。

(↑ニュースサイトより引用させていただきました)

(↑ニュースサイトより引用させていただきました)

今度、口元が見えるマスクが発売されるようです。利用の仕方が、楽しみです。

この1年間でマスクへの考えがかなり変わりました。そして、そのバラエティ豊かな発想と商品開発力にただただ驚いています。マスクにも医療用だけでなく、ファッションやイベント性を持たせるなんて・・・

「人間てすごいなぁ~」と

素直に驚いています。

ウィルス感染防止に効果のあるマスクを認証するJIS認証マーク制度も始まるようです。

マスクの進化が止まりません。

ところで、マスクには、アイマスクというマスクもあるのを忘れてはいけません。

口元にマスクをして、その上にアイマスクをすると・・・・

 

 

 

 

 

 

(←いくら入りアイマスクを装着)

もう、なにがなんだか分からなくなってきましたね。

あくなき、人間の挑戦は、このようなコロナ禍でも発揮されるなんて、希望が持てます。

当社もこのような発想豊かな人材が集まる、楽しい会社にしたいと真剣に思っています。

ただいま、今年10月1日入社および、来年2022年4月1日入社予定の正社員を募集しています。まかせてグループおよび、すまいポート21で働きたい方は、お気軽にお問合せください。

各地のハローワークでも掲出しています。

お問合せ 0120-881-986(平日10;00~17;00)

 

 

 

2024

06.10

(つづき)

 

長野県下伊那郡下條村は、タレントの峰竜太の実家がある村です。そこにある道の駅で見つけた張り紙に書いてあるメニュー「竜太やきもち」「みどりやきもち」をテイクアウトで頼みました。

若い女性店員さんが、厨房に大きな声で取り次いでくれました。

「竜太とみどり一つずつお持ち帰りでお願いします~」

えっつ、そう言うの??そばを食べていた他のお客さんが全員顔を上げました。こっちのほうが、恥ずかしくなってしまいました。😊😘😘😘😘

しばらくして、おかもちに入った「竜太やきもち」と「みどりやきもち」がテーブルに届きました。

これが、「竜太やきもち」↓

これが、「みどりやきもち」↓

もしかして、おやき?いや昔子供のころ母親が作ってくれたおやつ?のようなものでした。

ネーミングの勝ち!という感じでしょうか?会社に帰って、配布員の皆さんと分けていただきました。いろいろな具材がはいっていて、出来立ての温かさがあり、おいしかったです。

 

 

実は、下條村には、1990年代から2010年代にかけて、アイディアマンの村長さんがいて、いろいろな先駆的な施策をしたことで有名になった村なんです。一番有名なのが、出生率を上げたということです。こんな本にも取り上げられていました。

「奇跡の村」~人口4000人の辺境の山村がなぜ全国有数の高い出生率を誇るのか?~(集英社刊)辺境の山村=下條村では、子育てしやすい村として全国的に有名になり、全国の自治体から視察が相次いだそうです。村内を車で走ると、確かに、辺境の村に似合わない?(ごめんなさい)3階建てのおしゃれなマンションタイプの集合住宅が点在しており、子育て中のファミリー層がたくさん住んでいるのが良く分かります。保育園も小学校も中学校も、たくさんの子供たちであふれています。

当社では、さまざまな業種のお客様から、子育て中のファミリー層をターゲットに、下條村の集合住宅だけチラシを配ってくれないかという要望が時々あります。

大丈夫です。

当社には、下條村の集合住宅を効率よく配れるルートがきちんと書き込まれた、地図が用意されております。当社配布員さんなら、だれでも効率よく配ることができるようになっています。このような地図(まかせてマップ)を完備しているのが、ポスティング会社のノウハウです。

 

このブログを見てくださっている方も、ぜひ、長野県下伊那郡下條村へお越しください。また、チラシ配布のご用命があれば、お気軽にフリーダイヤルへお問い合わせください。

お問合せ0120-881-986(平日10;00~17;00)

私もなにかいいことがあったときに、竜太ワインの栓を開けようと思います。

下條村をあとにして、飯田市に戻る時にこのような看板が見送ってくれています。

「峰竜太のふるさと下條村です。気を付けてお帰りください」

ありがとう、また来るよ、とついつい心の中で応えてしまいそうです。温かい村ですね。

峰竜太のふるさと下條村は、1人のタレントで売り出しているだけでなく、子育てに適した居住環境や医療補助や保育体制がととのった注目の自治体だったんですね。

そういえば、道の駅の若い女性店員さんも、そんな子育て中の奥さんだったかも知れません。楽しく働ける場所があるのも魅力ですね。このような山村地帯でも、まかせてグループでは、きちんとポスティングしております。

 

 

 

2024

06.01

長野県永久観光大使に、司会業などのタレント、峰竜太さんが就任しています。峰さんのご実家は、長野県下伊那郡下條村で雑貨店を営んでいます。奥さんは、落語界の重鎮、初代林家三平師匠の長女で元女優の海老名美どりさんです。恐妻家として知られております。

 

4月2日の長野県でのオリンピック聖火リレーの2日目のトップバッターは、峰竜太さんでした。このころはまだ新型コロナ感染者が落ち着いていたので、飯田市内の公道を聖火リレーは通っていきました。

 

 

私の目のまえを一般人の聖火ランナーが通りすぎたあと、こんなバスが通りました。

 

峰竜太さんが、バスの中から沿道の観客に手を振ってくれました。第一走者としての役目を終えたあとに、後を追ってこんなサービスをしてくれる地元思いのタレントさんです。(当時、タレントなどの有名人は、公道での走行を禁止されていましたので、出発地点の上郷小学校の校庭内で走られたそうです)

 

さて、飯田市の中心街から、10kmほど南下した国道151号線沿いにこのような看板があります。

「竜太ワイン」スーパーさかや。この看板を左折してすぐにありました。峰竜太さんのご実家です。

店内は、竜太ワインをはじめとして、竜太そば焼酎、竜太てぬぐい、竜太トランクスなど、竜太グッズでいっぱいでした。贈答用の桐箱入りのお酒セットもありました。レジのお姉さんが教えてくれました。「いとこにイラストレーターがいて、勝手に竜太の似顔絵を描いてよこして、商品化したのよ、皆さん結構買っていってくれますよ。」

 

 

 

その後、近くの道の駅により、そばを食べているとこんな張り紙を見つけました。

↓ ちょっと拡大してみましょう、竜太そばの下です。

 

竜太やきもち、みどりやきもち、夫婦やきもち、・・・・・?なにこれ?どれも200円。竜太やきもちとみどりやきもちをセットにしたものが、夫婦(めおと)やきもち!!

早速、 竜太やきもち と、みどりやきもち をテイクアウトで頼みました。食堂の女性店員さん、大きな声で厨房に注文を取り次いでくれました。

 

「竜太とみどり一つずつお持ち帰りでお願いします~」

 

えっつ、そう言うの??そばを食べていた他のお客さんが全員顔を上げました。こっちのほうが、恥ずかしくなってしまいました。😊😘😘😘😘

竜太とみどりってデュエットみたいな語感でいいですね。たとえば、「さくらと一郎」「ヒロシとキーボー」「ヘドバとダビデ」や「貫一とお宮」みたいな感じですかね。古くてすみません。

そんなことを考えながら、顔を赤らめて待つこと5分、私のテーブルにおかもちに入った、竜太やきもち と みどりやきもち がとどきました。

 

驚きの料理は、お・た・の・し・み・に・・・・。待てない方は、長野県下伊那郡下條村の道の駅に行って確認してみましょう。

次回のブログをお楽しみに・・・・

coming soon !!

 

 

2024

05.10

ゴールデンウィークは、皆さんどのようにお過ごしでしたか?

私はほとんどステイホームで、DIY三昧でした。その中で、1日だけ近くを流れている天竜川の舟下りに出かけました。南信州を代表する観光スポットではありますが、この日は特別な催しが開かれました。

舟の上で、和太鼓奏者+篠笛奏者の演奏とその曲に合わせて、新進女流書家の和全さんによるパフォーマンスです。人里離れた天竜川の渓流の奥地に、1槽の舟が待っていました。

近づくと同時に太鼓と篠笛の音が・・・・

女流書家が大きな2枚の真っ白なキャンパスに大きな筆で書とイラストを描いていきます。

どうやら天竜川にちなんで「龍」の絵のようです。

舟に近づいていきます。

今度は、色がついていきます。

「翠」という文字と龍の絵です。舟下りの舟もあります。船頭さんが書かれています。

この舟にはまだ、乗客が乗っていません。そこで、女流書家が、こちらの観客が乗っている人の中から、数人を選んで似顔絵を描き始めました。

良く、似ています。乗客のモデルになった人のみ、マスクを外しました。ほかの皆さんは、声を出さずに拍手しました。

「天龍」という文字も加えて完成。こんなパフォーマンスを見ることができる貴重な体験でした。

3人とも、飯田市および周辺市町村に在住の方々ばかりです。新進アーチストが頑張っています。

私も魂の浄化ができました。明日からの仕事をがんばろうと思いました。

素敵なパフォーマンスありがとうございました。

 

 

2024

04.30

当社のブログ欄に最近、上田別所線ネタが増えていますね。3月28日に全線開通した(あの

赤い鉄橋が復旧した)ので、地元及び一部松本で盛り上がっていますね。

そこで、わたくしも別所線開通祝いに、ちょっと参戦することにしました。

 

私の視点から別所線を解説します。別所線ってどこ?どうつながっているの?っていう距離感、感覚をお知らせします。

まずは位置関係!

青の↓が、JRの北陸新幹線上田駅です。赤の↓が上田電鉄別所線の上田駅です。黄色の↓が、いま正に上田駅を出発した別所線の電車です。見えます?

拡大しました。

上田駅を出発した別所線は、こんな感じに進みます。

黄色い↓が電車です。

発車してすぐに千曲川の赤い鉄橋に差し掛かります。

そして、赤い鉄橋を渡り終わります。

そうです。この赤い鉄橋の5番目の橋げたが、千曲川に陥落してしまったのです。

2年前の台風19号の濁流に流されて・・・しまった。そこでこの区間が1年6ケ月に渡ってバスの代行輸送になっていたのです。大規模な護岸工事と鉄橋の復活は、大変な工事だったと思います。

だから、この赤い鉄橋に別所線の電車が当たり前に通るということは、スゴイ!ことなのです。上田市民だけでなく全国からこの鉄橋開通を祝うメッセージが届いたのです。当社でも若干2名が祝っていました。

ところで、このアングルで写真を撮っている社長は、撮り鉄に違いないと思う方々もいると思いますが、全く違います。偶然です。

このアングルで写真を撮れるところで、下記のような貴重なエコバックをもらいました。開通した記念の赤い鉄橋がデザインされています。

 

このエコバックは、上田の事務所に寄贈してきました。

したがって、撮り鉄ではありません。

 

2024

04.14

当社では、4月1日に晴れて2021年度の入社式を挙行しました。

久しぶりに新卒、既卒と多くの新入社員を迎えることができました。

 

ZOOMで先輩社員や当社顧問の先生からも祝辞もいただき、盛大に執り行うことが出来ました。

私がまかせて松本を創業したとき、まだこの世に生まれていなかった人が、当社へ入社してくれる日がこようとは・・・感慨深いものがあります。会社を立ち上げていなかったら、絶対に接点をもつことはなかった人たちとこのように接点を持つことができることが、なにか不思議な感じです。この若い世代が次の(有)ペーパー・シャワーズを引っ張っていってくれることを願っています。

翌、4月2日には、飯田市を2020東京オリンピックの聖火リレーが通過していきました。急遽、新人研修をとりやめて、みなさんで見学に行きました。

 

新人の皆さんにとっても、思い出深い、飯田での入社式、新人研修のスタートになったと思います。よかったですね。

2週目からは、まかせての各地の事務所をまわったり、座学がスタートしました。

第3週目には、まかせてグループの営業会議にも初めて出席し、研修課題のひとつをみなさんの前で発表もしました。堂々としていて、この2、3週間で社会人としての貫禄も見られるようになりました。

先輩社員の働き方も変わってきました。なにか、お兄さん、お姉さんぶりが目立ってきました。新しい風も吹いています。さぁ、みなさんで、2021年度も盛り上げていきましょう。

 

 

2024

03.30

(つづき)

10年前の3月11日東日本大震災が発生しました。

東北地方でポスティング業を営む㈱アオバヤさんと当社はいろんな情報交換をしながら、社員同士の交流も生まれました。

震災から2年後の秋、㈱アオバヤさんが主催して被災地の沿岸部40kmを歩くチャリティーウォークイベントを開催するという情報が入ってきました。当社でも社員に募集して一緒に参加しようと呼びかけました。当時?の若手を中心に数名が参加することになり、レンタカー2台に分乗して一路仙台を目指しました。

↑長野を出発するときの様子です。皆、まだ震災から2年たった被災地をどんなふうに歩くんだろうと考えながら、40km完走?完歩できるかなと不安いっぱいでした。

↑ 出発は、仙台空港の近くでした。当社関係の参加者全員で出発前に、「配布魂」タオルを広げて記念写真をとりました。仙台空港にも大津波が押し寄せ、大変な被害を受けていましたが、このころには、滑走路と空港施設の復旧がすすみ、定時運行ができるまでになっていました。当時の被害状況がわかる写真がパネル展示されていました。

↑チャリティウォークは、参加者4000人を超える大規模なイベントでした。多くの参加者が震災を忘れないように、被災地の復旧状況を見ながら歩きました。

 

↑途中、このように廃校になった小学校の近くを歩きました。ここまで、大津波が襲ったのだと思うと、自然災害の怖さを実感しました。近くには、まだまだ壊れたままの民家も散在していました。高台には、災害仮設住宅も遠くに見ることができました。

なんとか7時間ほどかけて、40kmを歩きとおし、仙台市内の公園にあったゴールにたどり着きました。当社の関係者は、ほとんどが完歩することができました。

↑ゴール地点では、㈱アオバヤの社長さんが、ひとりひとりの完歩者に握手をしてくださり、多くのスタッフが拍手で迎えてくれました。完歩した達成感とこんなに多くの方がゴールで祝福してくれるという演出に感動したことを覚えています。足が悲鳴を上げていましたが、一気に疲れも吹き飛びました。

近くには、飲食やマッサージの出店もあり、みなさんくつろいでいました。震災の被災地を40kmも歩くことにより、震災への認識も深まりました。

当社関係者は、折角仙台まで来たので、もう1泊して、翌日は、伊達政宗像がたっている仙台市を一望できる公園を訪ねました。戦国武将の格好をしたボランティアの皆さんが一緒に写真に収まってくれました。

 

※今年、東日本大震災から丸10年ということで、さまざまな報道やイベントがありました。また、このタイミングで震度5強の地震が2回、東北地方を襲いました。津波注意報も出されました。

私もあらためて、10年前の写真をみていて、当時のことをいろいろと思い出しました。震災は、㈱アオバヤさんとの交流のきっかけになったおおきな出来事だったと思いました。福島にも何回か足を運び、放射線汚染からの復旧の様子を見る機会もおおくありました。

どんな場面にも、全国から来ている若者の姿があり、勇気づけられたことを思い出します。

あれから10年、ポスティング業は、全国的にみるとおおきな産業に成長してきました。

日本ポスティング協同組合の活動をとおして、多くのポスティング会社とも交流させてもらうことができました。なにか、ひとつのことをずっと続けていると、いいことがあるなと思う今日このごろです。これからは、なにか恩返しができる活動ができるといいなぁなんて、漠然と思っています。

(東日本大震災から10年のブログシリーズは今回でおわりです)

 

 

 

 

 

 

2024

03.23

年度末、3月28日(日)には、長野県内の様々な通行止めゲートが取り外されます。

注目の一日になりそうです。

①28日早朝、上田電鉄別所線の千曲川橋梁がついに開通します。

2019年10月13日の台風19号は、千曲川沿岸に大きな被害をもたらしました。長野市では堤防が決壊し、多くの人が被害を受けました。上田市では、市民のシンボルだった千曲川の赤い橋が落ちるという惨事に至りました。

これが当時の写真

 

 

1年5ケ月を経て、別所線が全線開通になります。1番電車は、5時55分に上田駅を出発するようです。皆さんで早起きして、手を振りましょう!詳しくは、まかせて上田の中村特派員の報告を待ちましょう!

 

 

②28日(日)14時、長野市の北部幹線道路、高田若槻線の桐原交差点からSBC通りまでの約800Mが開通します。

昔から、なぜここから急に狭くなるの?と思っていた道路がついに、高規格の道路として開通します。数十年かかって、近隣の皆さんにとっての悲願が叶うのだと思います。

 

 

 

③28日(日)17時、中央道座光寺PAがETCスマートインターに生まれ変わります。

松川インターと飯田インターのちょうど中間地点になります。ここの出入り口が使えるようになると、一番喜ぶのは・・・・

 

はい、当社本社およびまかせて飯田勤務の皆さんです。そして、当社の社員の皆さんです。これからは、座光寺PAがもっとも近い中央道へのアクセスになります。何十億円もかかっている一大事業でしたが、実はこれはリニア新幹線長野県駅へのアクセスを考えた開通です。長野県飯田市がだんだんと交通の要になっていきます。注目です。

(ただし、ETC車載車しか、スマートインターは通行できませんので、ご注意ください)

 

※東日本大震災から10年がたち、当時何を考えて行動していたかのブログシリーズは1回お休みです。次回は、東北の被災地海岸線沿いを40km歩くイベントに参加した時のことを当ブログで紹介します。次回をお楽しみに。

 

 

 

2024

03.19

(つづき)

10年前の3月11日東日本大震災が発生しました。

その1ケ月後、私と当社の社員で、東北地方でポスティング業を営む㈱アオバヤさんの営業所を訪問し、義援金と栄養ドリンクを届けてまわりました。災害ボランティアや被災地でのポスティングの経験ができたことにより、ポスティングビジネスへの使命感が強くなったことを覚えています。

その後、当社のほかの社員も自主的に福島県富岡町などへ災害ボランティアに参加する者もでました。

大震災から5ケ月後2011年8月、東京の数社と共同で実行委員会を立ち上げ、東北地方でポスティング業に関わる4社の会社の社長さんや責任者の方々を東京へお呼びして、「震災復興シンポジウム」を開催しました。もちろん、そのうちの1社は㈱アオバヤさんでした。

ポスティング業者に特化して、大震災の時にどのように行動し、配布員さんとの関係やお客様との関係がどのように変化していったかを直接お聞きするということができました。

 

災害国日本においては、いついかなる時に震災に襲われるかわかりません。ポスティング業という同業他社が一同に集まり、震災当時の生生しい貴重なお話をお聞きすることができました。またその場で、参加者から義援金を拠出して、4社へ直接お渡しすることができました。

その後、数年にわたり、当社と㈱アオバヤさんとの社員同士の合同会議というのを数回開催しました。

 

夜は、会食をともにし、お互いの情報交換と交流が活発にできました。

←皆で手をつないで歌を歌ったり・・・

 ←ある年には、隅田川の屋形船で宴会を開いたりしました。

ポスティングビジネスの黎明期に2社の社員どおしがこのように交流を持てたことは、今となっては奇跡とも言えます。

東日本大震災から2年たったころ、㈱アオバヤさんが被災地の海岸沿いを、マラソンと同じ約40kmを歩くチャリティウォークイベントを主催するということをお聞きしました。そこで、当社でも社内で参加者を募集することにしました。

(次回へつづく)

 

 

 

ページ上部へ戻る

お電話でのお問い合わせ