独眼竜政宗(伊達政宗)の一生を見てきた

2024

06.02

東北の中心都市仙台駅からJR仙石線に乗り換え約40分で、松島海岸駅につきます。5月のある週末にここにある観光ホテルで東北地方でポスティング業を営む会社の創立記念式典があり、ご招待を受けましたので初めて松島へ行ってきました。日本三景のひとつとして有名な観光地です。

予定時間の2時間ほど前に現地に到着したので、街歩きをしてきました。(ポスティング会社の社長としての性分です)

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5年前の東日本大震災の津波が到達した高さがさりげなく書かれていました。松島は天然の入り江のため、近隣の塩釜や石巻では10mを超える巨大津波になりましたが、このあたりでは1~2mだったようです。

お店の窓などにさりげなく、津波の到達位置が書かれていました。

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しばらく行くと「伊達政宗歴史館」があり、兼ねてから東北地方の歴史を知りたかったので入ってみました。館内は蝋人形で、伊達政宗の一生を分かりやすく展示されていました。

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幼少期に疱瘡で、右目が見えなくなります。母親は、片目の政宗を不憫に思い、弟の小次郎を可愛がります。しかし、そのことが将来悲劇につながります。(ここでは省略)

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伊達政宗が、関白秀吉に謁見している様子。

戦国時代は、戦国武将のお家の存続をかけたものがたりが各地に残されています。この伊達家のものがたりはぎりぎりの選択を迫られながら、乱世を生き延びた様子がよくわかります。

ビジネスの世界でも、会社の存続のために試行錯誤しなければならない局面がたくさんあります。常に、直感という感覚を研ぎ澄ませて正しい判断ができるようにしていきたいと思います。

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なぜか、NHK大河ドラマの真田丸のポスターも。このポスターをみるとなぜか長野県人の血が騒いでしまいます。伊達政宗と真田信繁(幸村)は同じ時代の戦国武将なんですね。(2人とも永禄10年1567年生まれ)。碧眼の伊達政宗は、美男子だったといわれる弟の伊達小次郎との確執があったそうです。真田信繁は、父・昌幸の次男にも関わらず長男の信幸よりも武功を立てています。幼少時の名前も長男・信幸が、「源三郎」、次男・信繁が「源二郎」となぜか常識とは逆転しています。兄弟のわだかまりがあるという点でも、伊達政宗と真田信繁は共通項がありますね。

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歴史館をでるとカキの殻の山がどっさりと積まれていました。食堂で食されたカキの殻でしょうね。ところで、東北の会社の創立記念式典はどうだったのか?

ここでは表せないほどの感動、感動の連続でした。そして、会社の力の源泉、創業者への尊敬、社員500人のベクトルの合わせ方、お客様への接待・おもてなしの極意を教えてもらった貴重な体験でした。ご招待いただきまして、本当にありがとうございました。

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そうそう、独眼竜政宗のことば

「曇りなき 心の目を先だてて 浮世の闇を照らしてぞ行く」

と書かれた扇子を買い求めてきました。いい思い出になりました。

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