2月9日夜に開幕した、韓国ピョンチャンオリンピック盛り上がってきましたね。日本選手がメダルを獲得すると、ニュースにかじりつきになります。そして、選手のものがたりに感激します。マスコミは、こんなネタをいつの間に仕入れていたのか?と思います。
私は、1998年の長野冬季オリンピックをきっかけにして、脱サラしてポスティング業に参入しました。したがって、今年は創業20周年、冬季オリンピックで数えて、長野から5回目の冬季オリンピックを迎えた特別な年です。
1998年2月に、白馬スキージャンプ場でノルディックスキーの試合を観戦しました。世界から集まった観客のまえで、荻原兄弟などのジャンプをみることができました。それに感動して、勤務していた横浜の会社を退職して、4月には、長野県松本市に引っ越してきました。いわば、私は長野冬季オリンピックで人生が変わった一人です。
しかし、世の中には、もっとすごい「長野冬季オリンピックで人生が変わった人」をラジオ番組で知りました。
その人Kさん一家のものがたりは、こんな感じでした。
①Kさんは滋賀県で家族で民宿を営んでいた。
②1998年の2月のある日、たまたま宿泊客がゼロであった。
③Kさんは、奥さん子供3人(小学生、保育園)をつれて、くるまで長野へオリンピックを見に来た。
④チケットを持っていなかったので、長野駅前で通行人に声をかけて、観戦チケットを購入した。それが、たまたまアイスホッケーの決勝戦であるロシア対チェコ戦だった。
⑤たまたまチェコの応援席に陣取り、熱狂的なチェコのファンの間に交じって応援した。
⑥チェコが1対0でロシアに劇的な勝利、長野市内で開催された優勝祝賀会にもでかけた。(これは母国では大ニュースでいまだに「ナガノ」と語り継がれている)
⑦そこでチェコの選手が子供たちにいろいろと話しかけてくれた。「アイスホッケーは楽しいよ」「もしやりたくなったらチェコにおいで」・・・子供たちはチェコの人たちに囲まれて感動していた。
⑧長野冬季オリンピックが終わり、子供たちも感動が忘れられず、滋賀県でアイスホッケーをしているチームを見つけて練習に参加した。
⑨しかし、本場ではなかったため、なんとなく物足りなかった。子供たちがご両親に「チェコに行きたい」と嘆願した。
⑩ご両親は一大決心して、商売をたたんで、家族5人でチェコに移住。
⑪チェコでも宿屋を始めた。こども3人(長男、長女、次女)はすくすく育ち、地元アイスホッケーチームで活躍。
⑫長男はすでに選手生活はリタイア、長女、次女はいまでもチェコのアイスホッケーのチームで活躍中。ピョンチャンオリンピックには、出場できなかったが、次回狙っている。ということでした。
ラジオ番組のパーソナリティ氏は、実際にチェコ在住のKさんと番組の中で国際電話して話を聞きだして、感動していました。視聴しているだれもがびっくりのKさん一家の人生でした。
約1時間後、番組が終了しようとしているところへ、視聴者から番組あてにメールが届きました。「昨年、チェコを旅行したときに、Kさんの宿に泊まりました。優しくもてなしてくれたKさんにこんな物語があったとは知りませんでした。」と。
すごい番組構成です。
わたしは、人生に成功しているひとのことばづかいに注目しました。共通点は、「たまたま」ということばをよく使うことです。たまたまの偶然をプラスに持っていける人が人生の成功者ではないかと、私もそうなりたいものです。ともかく、Kさんの人生には、感動しました。
実は、私がいま住んでいる長野県の田舎村(400世帯ほど)の出身者が、ピョンチャンパラリンピックでアイスホッケーの選手に選ばれています。30代で交通事故で片足を切断したどん底から、たまたまパラアイスホッケーに出会い、ついにパラリンピックに出場するなんて。だまっていても郷土愛が芽生えてしまいます。地元の自治会経由で支援金募金に協力もしました。
オリンピック(パラリンピック)にまつわるものがたりには、いつも感動してしまいます。
初心に戻ろうと思いました。