こんにちは!まかせて韮崎のきっかわです。
山梨の地歴を探る「勝手にブ〇タモリ企画」の三回目です。当ブログをきっかけに配布員さんとのやり取りも増え、店舗責任者としては喜ばしい限りです。
さて前回は「七里岩は八ヶ岳の山体崩壊によって発生した土砂流【韮崎岩屑流】がもとになっている」というお話でした。
今回はネタを一足飛ばしまして「釜無川と信玄堤」について触れていきます。というのも・・・
THE MI🌸GO🌸RO
川岸に沿った桜並木、きれいです。
今回の調査ポイント!
こちらはその名も「信玄堤(しんげんづつみ)公園」。「信玄堤」とは、北杜市から南下する「釜無川」と、韮崎市と南アルプス市の境界を東に向かって流れる「御勅使川」の合流地点に設置された数々の「減災機構」及びその流域システム全体をさすとのこと。
甲府盆地の歴史は水害の歴史といわれるほど、地形形成や人々の生活に大きな影響を及ぼしてきたといわれております。この暴れ川たちを「抑える」「せき止める」だけではなく、「流路を分散させる」「流れの勢いを弱める」という発想で治めていったのが、堤防の名の由来でもある時の武将「武田信玄」というわけです。この信玄堤公園にたどり着くまでにも、川の流域では様々な工夫が凝らされています。こちらもまたいずれ観察してみたいですね。
この【防災】に対する【減災】の考え方は、先の3.11の圧倒的な自然災害を経て再検討され始めたともいわれます。数百年前の戦国の世において【減災】に力点を置いた武田信玄の先見の明はさすがと言わざるを得ません。
こちらは水流の勢いを弱める機構。「聖牛」と呼ばれます。なんだか将棋の駒にありそうなセンスです。そういえばここの地区は旧「竜王」町でしたね。その他、水と一緒に流れてくる土砂を抑えたり、流木・枯草等を付着させて処分しやすくしたり等々、コンクリートのない時代によく考えたものです。
画像右側に「聖牛」が三つ並んでいます。奥に見える橋の向こうで、「釜無川」と「御勅使川」が合流し、勢いを増すこのカーブ地点に設置されていたということですね。川の流れの作用は「外側が浸食」「内側が堆積」です!小学校で習った!
名所として知られる東京都隅田川の桜並木は、「見物客による川岸の踏み固め」を目的に、時の将軍「徳川吉宗」の命により植樹されたと聞きます。こちらの桜並木も、水害対策に一役買っているのかもしれません。
ちなみに・・・
今年2021年は「武田信玄 生誕500周年」にあたるそうですよ。(写真は双葉サービスエリアにて)
次回もお楽しみに!!