カテゴリー別アーカイブ: 社長ブログ

2021

07.27

私の住んでいる飯田市では、6月~7月にかけて、新型コロナウィルス感染症対策として、県外との往来があったり、県外から親戚などを呼んで交流のあった住民を対象に、抗原定性検査キットを活用した水際対策事業を行っていました。

私も日本ポスティング協同組合の事業で、県外を1週間にわたり旅する出張があったために、あらかじめ申し込んでおきました。そして、帰宅後3日目についに抗原定性検査キットを開けて、検査してみました。

これが、送られてきていた梱包物などです。(手鏡のみが、私の持ち物です)

まず、鏡を見ながら綿棒を扁桃腺にこすりつけます。

  

綿棒で、チューブに入った液体をかきまぜます。そのチューブをもって、判定部のキットに2滴垂らします。

そして、判定部の横の線(rライン)の数をかぞえます。最初は、ピンクの線が1本のみ表われています。

 

 

約5~30分かかります。

この時間が、ドキドキの時間です。

rラインが、青になり、1本だけなら、陰性、2本現れたら、陽性、ということです。

 

 

 

現れました。青の線1本だけでした。これで抗体定性検査としては、陰性ということです。

ほっつ!

簡単にできました。家庭でも一人でもできます。

もし、青い線が2本出たら、保健所へ連絡して、次の段階としてPCR検査を行うという手順になっています。

飯田市では、5000セットを希望者に無料頒布して社会実験を行い、水際対策に役立つかどうかを見極めたいとしていたのです。

幸いに、6月~7月にかけては、飯田市では、新型コロナ感染者数が、ほんの数人に収まっています。感染者が広がっている状況ではありません。

私も社会実験に協力した1人として、アンケートに記入して飯田市へ提出しました。

 

長い長いコロナ禍の時代が続いています。しかし、人間は創意工夫して、困難に立ち向かう能力を持っています。時間の経過とともに、得られた知見があり、感染症対策も進化していきます。飯田市のように、打つ手は無限大と考えて・・・・世間の批判を恐れずにいろいろなことを試してみる姿勢が私たちにも試されていると思います。

 

東京オリンピックが開催できたことも、きっといい方向へ行くのではないかと思っています。

 

私も県外出張がなかったら、このような水際対策事業へ協力しようなんてことも考えなかったと思います。自分が動くことで、関係する様々な情報が入ってくるようになりました。このような雑多な情報から取捨選択して自分で考え抜く力も、沸いてきました。会社経営にも役立てていこうと思います。

 

2021

07.19

組合から頂いた仕事のために、出張中にカーラジオから聞いた話です。

くるまは、北陸道を一路北上していました。日本海が見えるあたりで聞いた話です。

大江津分水 = おおこうつぶんすい

なんのことでしょうか?まず、中学生の地理の時間にもどして知識を整理してみましょう。

長野県内を流れる、梓川、奈良井川、犀(さい)川、千曲川などの一級河川は、北上するにしたがって、一つにまとまり、新潟県に入ると、信濃川と名前が変わります。水量を増やした信濃川は、越後平野を潤し、新潟市で日本海にそそぎます。私が書いた地図を参考にしてください。

 

しかし、下流の新潟市を含む越後平野の人たちからみると、信濃川は、水量が多く、毎年のように大洪水をもたらすやっかいな川だったのです。江戸時代末期から、なんとか水害から守る方法はないかと住民から、根本的な治水工事を行うように、お上へ陳情が繰り返されていたそうです。

特に、明治29年(1896年)横田切れと言われる大洪水は、3ケ月に渡り越後平野の水が引かず、赤痢も発生し、何千人ものかたが亡くなり、農作物も大打撃を受けた大災害でした。そこで、明治政府がついに大工事をする決断をしました。

それは、燕市を流れる信濃川から分水路を掘り、直接日本海へ流す計画でした。これにより、信濃川本流の水量を減らし、安心して生活できる基盤ができます。明治42年着工、大正11年通水、昭和6年補修完了という東洋一の大工事だったそうです。本流には、洗堰、分水側には、可動堰という水量を調整できる堰が設けられています。

全長9.1km、途中にある標高100mを超える山地を掘るという前代未聞の大工事に、外国製の巨大掘削機械をいれて、のべ1000万人が工事に携わりました。

この人工的な分水路が、大江津分水なのです。

 

(↑ネットのサイトなどから引用しました)

ラジオでは、地元燕市の市長と女性パーソナリティのやりとりでこの工事の困難な物語を語ってくれました。燕市には、江戸時代長岡藩にあった長善館という漢学の私塾があり、そこの卒業生が世のため人のために尽くすという理念のもと、大江津分水の完成にむけて力を尽くしたことを話されていました。

市長が話します。「昭和2年、通水していた大江津分水の堰が陥没してしまいます。宮本武之輔(みやもとたけのすけ)という内務省技官が着任し、威信をかけて補修工事を行います。着任時に作業員に語ったあいさつが私の心に残っています。」

いわく「天の時を得ず、地の利を受けないこの工事は、人の和のみによって完成する」

補修工事中の昭和5年6月には、新潟を集中豪雨が襲っていました。宮本は、独断で全責任を負う覚悟で、工事中だった大江津分水可動堰の仮締切を切ってしまいます。そのおかげで、信濃川本流の水量が減り、越後平野に洪水が発生しませんでした。しかし、工事中の分水側の可動堰は壊れてしまい、工事期間が長引いてしまいました。工事より人命を優先した宮本の判断のお陰で、どれほどの越後平野の人々が助かったか計り知れないのです。

ついに、昭和6年補修工事が完了しました。

その後、越後平野の水害は激減し、米どころ新潟という大穀倉地帯が産まれました。新潟市の河口付近では、以前は、信濃川の川幅が800m近くあったのが、水量が減ったために埋め立てが進み、300mほどになったとのことです。そのおかげで、新潟県庁、朱鷺メッセなどの巨大建造物も建てられるようになり、土地の有効利用が進みました。

この物語にラジオスタジオでは、期せずして拍手が沸き起こっていました。

私もくるまの運転をしながら、感動して拍手を送っていました。30分ほどの番組でしたが、知的好奇心を掻き立てられる濃い内容でした。同時に2年前に長野県に起きた出来事にも思いを馳せてみました。

(以下は、ラジオ番組の内容ではありません)

今から2年前の10月、令和元年東日本台風(台風19号)が、各地に甚大な水害を起こしていきました。特に、千曲川沿岸では、大きな被害があり、長野市では堤防が決壊して、大規模な浸水が起きました。いまでも災害復旧工事が行われています。車両基地に留まっていた北陸新幹線車両が浸かりました、上田では上田電鉄鉄橋が陥没しました。

 

なぜ、下流の信濃川では大きな水害が起きなかったのだろうか?と思っていました。

長野市の千曲川が決壊して半日~1日たったころ、晴天の中だったにも関わらず燕市付近を流れる信濃川は、未曽有の水量になっていました。国土交通省は、信濃川本流の洗堰はすべて閉じ、大江津分水の可動堰は全開にしました。そのため長野県から流れてくる大量の流木と水は、ほとんどが大江津分水を経て日本海へ注いでいきました。越後平野は、他県の上流に降った大量の雨による水害からも、大江津分水によって守られていたのです。

 

信濃川の上流の長野県に住む一人として、いままで下流のことを考えたことがなかったのですが、このラジオ番組によって視点を変えることができました。

今度、新潟県に行ったらゆっくりと大江津分水の今を見に行こうと思いました。

コロナ禍ではありましたが、1週間にわたる出張を許可してくれた組合にも感謝しています。出張がおわり、私の家庭と会社では、会議にはリモート参加するなどの隔離処置を約1週間、自主的に行いました。しかし、自分としてはコロナに感染していないという科学的な自信がありました。

 

それは、地元飯田市が行っている抗原定性検査キットによる水際対策事業(社会実験)に参加していたからです。全国的に見ても先駆的な取り組みである、抗原定性検査キットによる社会実験については、次のブログまでお待ちください。

長い文章を読んでいただき、ありがとうございました。

 

(追記;大江津分水の当時の写真 出典URL)

https://www.google.com/url?sa=i&url=https%3A%2F%2Ftsubame-kankou.jp%2Fseeing%2Fabout_ookoudubunsui%2F&psig=AOvVaw1mNd_yR2_dT8woDcnZBLeQ&ust=1627713359366000&source=images&cd=vfe&ved=2ahUKEwj70PX1loryAhUFzYsBHbKvAlYQr4kDegQIARA7

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/ed/Okozu_Canal_under_construction.JPG

 

https://www.google.com/url?sa=i&url=http%3A%2F%2Fwww.hrr.mlit.go.jp%2Fshinano%2Fohkouzu100th%2Fohkouzu100th.html&psig=AOvVaw1mNd_yR2_dT8woDcnZBLeQ&ust=1627713359366000&source=images&cd=vfe&ved=0CK4BEK-JA2oXChMIkNjwh5eK8gIVAAAAAB0AAAAAEAQ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021

07.12

ほぼ、1年半ぶりに地方をまわる出張へ行ってきました。当社の業務ではなく、日本ポスティング協同組合のお役をいただいている身として、役員会および事務局に許可をいただき、長野県、山梨県を離れて、数県をまわってきました。(訪問先はあえて公表しませんが・・・そのうちに組合のHPでオープンになる予定です)

このようなご時世のため、なるべく必要最小限の方との会合と面談にとどめ、交通手段は、すべてくるまで行き来しました。私にとっては、1年半ぶりの長期出張でした。

 

久しぶりの長距離の移動になりました。見聞きするものが、すべて新鮮でした。

たとえば、このような恐竜がいる駅前でそばを食べました。この恐竜、ときどき首が動いて鳴き声?も発するんですよ。

ちょうどそこにおばあさんが歩み寄ってきて、なにかいい感じの写真になりました。

 

街中のいたるところに野球漫画のキャラクター像がある通りも歩きました。

 

↑ドカベンの岩鬼正美  と山田太郎

 

↑野球狂の詩の水原勇気と岩田鉄五郎

↑あぶさんの景浦安武

 

 

 

 

日本海沿岸のまちから、太平洋沿岸のまちへ1日で移動した日もありました。

ある町では公園に大仏を見に行きました。奈良の大仏より大きな大仏が日本にあるなんて、知りませんでした。昭和天皇のご成功婚を祝って昭和2年に建立されていたそうです。まだまだ知らないことばかりです。

 

階段横の仁王像もりっぱでした。向かって、右が「あ」(阿形)の仁王様、左が「うん」(うん形)の仁王様でした。

 

 

見聞きした風景だけではなく、ことばにも新鮮な驚きと発見がありました。

これは、日本海沿岸のSAの食堂に大きく書かれていたことば。

「草むしりや草刈りをしていると、草がのびるから草むしりができるんだなぁ」なんか、禅問答のようで奥深く感じました。

これは、太平洋沿いの工業地帯の写真を撮っていて、あとで気づいた看板のことば。

「人生に定年なし!! 警備員募集中」なんか、じーんときてしまいました。

 

 

そのなかでも、最も心に残ったのが、新潟県の北陸道を走行中に地元ラジオを聴いていて、知ったものがたり。「おおごうつぶんすいのものがたり」です。帰宅後にもういちどラジコで聞き直してしまったくらいです。

「おおごうつぶんすいのものがたり」については、次回のブログで取り上げたいと思います。

 

組合活動に関わっているおかげで、このような時期であっても1週間にわたる出張をこなすことができました。

やはり、人間は移動して、いろんな土地を見て、いろんな人に出会って、見聞を深めて考えることが大事なんだなぁと改めて感じた次第です。コロナ禍が落ち着いたら、民族大移動が起きるというくらいに旅行・出張・交通・異文化体験などが急成長するのではないかと思いました。

もう、ちょっとの我慢です。

 

 

 

2021

06.21

この1年間のマスクの進化は、すごいものがあります。もう忘れそうになっていたので、ここで思い出してみたいと思います。

思えば、昨年2月末からマスクが店頭からほぼなくなりました。少ない在庫のなかから、何とか1日持たせてようと様々なアイディアが産まれてきました。

マスクが無くなるとこれほど不安になる時代が来るとは思いませんでした。

4月から、政府が全世帯へ2枚ずつの布マスクを配布開始しました。私の家には、6月初旬に届きました。当時は、アベノマスクって言っていましたね。首相もこの1年で変わったんですね。随分と前のことのように思いましたが、たかだか1年前のことなんですね。

なんとも懐かしいマスクでした。小学校の給食当番のときに使用するようなものでした。いろんな批判がありましたが、助かったと思ったひとも意外に多くいたと思います。私は、1組使って、1組は、記念に仏壇に供えたままになっていました。

昨年7月ころからは供給量が増えてきました。値段は高かったのですが、コンビニのレジ近くに普通に7枚入りのマスクが置いてあるのを見たときは、「本当に買っていいの?」と思ったものでした。

その後、約半年で、マスクの供給量も安定し、以前のように安価で大量に手に入るようになりました。この間の、国産マスクの製造を開始した国内企業の努力はたいへんなものだったと思います。

いまでは、こんなカラフルなものもあります。

これは猫。

これはブタさん。

これは恐竜?

目を転じて、町の中を歩くといたるところにマスク姿の像が目に入ります。

ライオンも・・・・(目がさびしそう)

カエルも・・・・

七福神の布袋様も・・・・(大きいなぁ)

最近では、福島県会津若松の高さ57mの巨大観音像にマスクがかけられたとニュースになっていました。

(↑ニュースサイトより引用させていただきました)

(↑ニュースサイトより引用させていただきました)

今度、口元が見えるマスクが発売されるようです。利用の仕方が、楽しみです。

この1年間でマスクへの考えがかなり変わりました。そして、そのバラエティ豊かな発想と商品開発力にただただ驚いています。マスクにも医療用だけでなく、ファッションやイベント性を持たせるなんて・・・

「人間てすごいなぁ~」と

素直に驚いています。

ウィルス感染防止に効果のあるマスクを認証するJIS認証マーク制度も始まるようです。

マスクの進化が止まりません。

ところで、マスクには、アイマスクというマスクもあるのを忘れてはいけません。

口元にマスクをして、その上にアイマスクをすると・・・・

 

 

 

 

 

 

(←いくら入りアイマスクを装着)

もう、なにがなんだか分からなくなってきましたね。

あくなき、人間の挑戦は、このようなコロナ禍でも発揮されるなんて、希望が持てます。

当社もこのような発想豊かな人材が集まる、楽しい会社にしたいと真剣に思っています。

ただいま、今年10月1日入社および、来年2022年4月1日入社予定の正社員を募集しています。まかせてグループおよび、すまいポート21で働きたい方は、お気軽にお問合せください。

各地のハローワークでも掲出しています。

お問合せ 0120-881-986(平日10;00~17;00)

 

 

 

2021

06.10

(つづき)

 

長野県下伊那郡下條村は、タレントの峰竜太の実家がある村です。そこにある道の駅で見つけた張り紙に書いてあるメニュー「竜太やきもち」「みどりやきもち」をテイクアウトで頼みました。

若い女性店員さんが、厨房に大きな声で取り次いでくれました。

「竜太とみどり一つずつお持ち帰りでお願いします~」

えっつ、そう言うの??そばを食べていた他のお客さんが全員顔を上げました。こっちのほうが、恥ずかしくなってしまいました。😊😘😘😘😘

しばらくして、おかもちに入った「竜太やきもち」と「みどりやきもち」がテーブルに届きました。

これが、「竜太やきもち」↓

これが、「みどりやきもち」↓

もしかして、おやき?いや昔子供のころ母親が作ってくれたおやつ?のようなものでした。

ネーミングの勝ち!という感じでしょうか?会社に帰って、配布員の皆さんと分けていただきました。いろいろな具材がはいっていて、出来立ての温かさがあり、おいしかったです。

 

 

実は、下條村には、1990年代から2010年代にかけて、アイディアマンの村長さんがいて、いろいろな先駆的な施策をしたことで有名になった村なんです。一番有名なのが、出生率を上げたということです。こんな本にも取り上げられていました。

「奇跡の村」~人口4000人の辺境の山村がなぜ全国有数の高い出生率を誇るのか?~(集英社刊)辺境の山村=下條村では、子育てしやすい村として全国的に有名になり、全国の自治体から視察が相次いだそうです。村内を車で走ると、確かに、辺境の村に似合わない?(ごめんなさい)3階建てのおしゃれなマンションタイプの集合住宅が点在しており、子育て中のファミリー層がたくさん住んでいるのが良く分かります。保育園も小学校も中学校も、たくさんの子供たちであふれています。

当社では、さまざまな業種のお客様から、子育て中のファミリー層をターゲットに、下條村の集合住宅だけチラシを配ってくれないかという要望が時々あります。

大丈夫です。

当社には、下條村の集合住宅を効率よく配れるルートがきちんと書き込まれた、地図が用意されております。当社配布員さんなら、だれでも効率よく配ることができるようになっています。このような地図(まかせてマップ)を完備しているのが、ポスティング会社のノウハウです。

 

このブログを見てくださっている方も、ぜひ、長野県下伊那郡下條村へお越しください。また、チラシ配布のご用命があれば、お気軽にフリーダイヤルへお問い合わせください。

お問合せ0120-881-986(平日10;00~17;00)

私もなにかいいことがあったときに、竜太ワインの栓を開けようと思います。

下條村をあとにして、飯田市に戻る時にこのような看板が見送ってくれています。

「峰竜太のふるさと下條村です。気を付けてお帰りください」

ありがとう、また来るよ、とついつい心の中で応えてしまいそうです。温かい村ですね。

峰竜太のふるさと下條村は、1人のタレントで売り出しているだけでなく、子育てに適した居住環境や医療補助や保育体制がととのった注目の自治体だったんですね。

そういえば、道の駅の若い女性店員さんも、そんな子育て中の奥さんだったかも知れません。楽しく働ける場所があるのも魅力ですね。このような山村地帯でも、まかせてグループでは、きちんとポスティングしております。

 

 

 

2021

06.01

長野県永久観光大使に、司会業などのタレント、峰竜太さんが就任しています。峰さんのご実家は、長野県下伊那郡下條村で雑貨店を営んでいます。奥さんは、落語界の重鎮、初代林家三平師匠の長女で元女優の海老名美どりさんです。恐妻家として知られております。

 

4月2日の長野県でのオリンピック聖火リレーの2日目のトップバッターは、峰竜太さんでした。このころはまだ新型コロナ感染者が落ち着いていたので、飯田市内の公道を聖火リレーは通っていきました。

 

 

私の目のまえを一般人の聖火ランナーが通りすぎたあと、こんなバスが通りました。

 

峰竜太さんが、バスの中から沿道の観客に手を振ってくれました。第一走者としての役目を終えたあとに、後を追ってこんなサービスをしてくれる地元思いのタレントさんです。(当時、タレントなどの有名人は、公道での走行を禁止されていましたので、出発地点の上郷小学校の校庭内で走られたそうです)

 

さて、飯田市の中心街から、10kmほど南下した国道151号線沿いにこのような看板があります。

「竜太ワイン」スーパーさかや。この看板を左折してすぐにありました。峰竜太さんのご実家です。

店内は、竜太ワインをはじめとして、竜太そば焼酎、竜太てぬぐい、竜太トランクスなど、竜太グッズでいっぱいでした。贈答用の桐箱入りのお酒セットもありました。レジのお姉さんが教えてくれました。「いとこにイラストレーターがいて、勝手に竜太の似顔絵を描いてよこして、商品化したのよ、皆さん結構買っていってくれますよ。」

 

 

 

その後、近くの道の駅により、そばを食べているとこんな張り紙を見つけました。

↓ ちょっと拡大してみましょう、竜太そばの下です。

 

竜太やきもち、みどりやきもち、夫婦やきもち、・・・・・?なにこれ?どれも200円。竜太やきもちとみどりやきもちをセットにしたものが、夫婦(めおと)やきもち!!

早速、 竜太やきもち と、みどりやきもち をテイクアウトで頼みました。食堂の女性店員さん、大きな声で厨房に注文を取り次いでくれました。

 

「竜太とみどり一つずつお持ち帰りでお願いします~」

 

えっつ、そう言うの??そばを食べていた他のお客さんが全員顔を上げました。こっちのほうが、恥ずかしくなってしまいました。😊😘😘😘😘

竜太とみどりってデュエットみたいな語感でいいですね。たとえば、「さくらと一郎」「ヒロシとキーボー」「ヘドバとダビデ」や「貫一とお宮」みたいな感じですかね。古くてすみません。

そんなことを考えながら、顔を赤らめて待つこと5分、私のテーブルにおかもちに入った、竜太やきもち と みどりやきもち がとどきました。

 

驚きの料理は、お・た・の・し・み・に・・・・。待てない方は、長野県下伊那郡下條村の道の駅に行って確認してみましょう。

次回のブログをお楽しみに・・・・

coming soon !!

 

 

2021

05.10

ゴールデンウィークは、皆さんどのようにお過ごしでしたか?

私はほとんどステイホームで、DIY三昧でした。その中で、1日だけ近くを流れている天竜川の舟下りに出かけました。南信州を代表する観光スポットではありますが、この日は特別な催しが開かれました。

舟の上で、和太鼓奏者+篠笛奏者の演奏とその曲に合わせて、新進女流書家の和全さんによるパフォーマンスです。人里離れた天竜川の渓流の奥地に、1槽の舟が待っていました。

近づくと同時に太鼓と篠笛の音が・・・・

女流書家が大きな2枚の真っ白なキャンパスに大きな筆で書とイラストを描いていきます。

どうやら天竜川にちなんで「龍」の絵のようです。

舟に近づいていきます。

今度は、色がついていきます。

「翠」という文字と龍の絵です。舟下りの舟もあります。船頭さんが書かれています。

この舟にはまだ、乗客が乗っていません。そこで、女流書家が、こちらの観客が乗っている人の中から、数人を選んで似顔絵を描き始めました。

良く、似ています。乗客のモデルになった人のみ、マスクを外しました。ほかの皆さんは、声を出さずに拍手しました。

「天龍」という文字も加えて完成。こんなパフォーマンスを見ることができる貴重な体験でした。

3人とも、飯田市および周辺市町村に在住の方々ばかりです。新進アーチストが頑張っています。

私も魂の浄化ができました。明日からの仕事をがんばろうと思いました。

素敵なパフォーマンスありがとうございました。

 

 

2021

04.30

当社のブログ欄に最近、上田別所線ネタが増えていますね。3月28日に全線開通した(あの

赤い鉄橋が復旧した)ので、地元及び一部松本で盛り上がっていますね。

そこで、わたくしも別所線開通祝いに、ちょっと参戦することにしました。

 

私の視点から別所線を解説します。別所線ってどこ?どうつながっているの?っていう距離感、感覚をお知らせします。

まずは位置関係!

青の↓が、JRの北陸新幹線上田駅です。赤の↓が上田電鉄別所線の上田駅です。黄色の↓が、いま正に上田駅を出発した別所線の電車です。見えます?

拡大しました。

上田駅を出発した別所線は、こんな感じに進みます。

黄色い↓が電車です。

発車してすぐに千曲川の赤い鉄橋に差し掛かります。

そして、赤い鉄橋を渡り終わります。

そうです。この赤い鉄橋の5番目の橋げたが、千曲川に陥落してしまったのです。

2年前の台風19号の濁流に流されて・・・しまった。そこでこの区間が1年6ケ月に渡ってバスの代行輸送になっていたのです。大規模な護岸工事と鉄橋の復活は、大変な工事だったと思います。

だから、この赤い鉄橋に別所線の電車が当たり前に通るということは、スゴイ!ことなのです。上田市民だけでなく全国からこの鉄橋開通を祝うメッセージが届いたのです。当社でも若干2名が祝っていました。

ところで、このアングルで写真を撮っている社長は、撮り鉄に違いないと思う方々もいると思いますが、全く違います。偶然です。

このアングルで写真を撮れるところで、下記のような貴重なエコバックをもらいました。開通した記念の赤い鉄橋がデザインされています。

 

このエコバックは、上田の事務所に寄贈してきました。

したがって、撮り鉄ではありません。

 

2021

04.14

当社では、4月1日に晴れて2021年度の入社式を挙行しました。

久しぶりに新卒、既卒と多くの新入社員を迎えることができました。

 

ZOOMで先輩社員や当社顧問の先生からも祝辞もいただき、盛大に執り行うことが出来ました。

私がまかせて松本を創業したとき、まだこの世に生まれていなかった人が、当社へ入社してくれる日がこようとは・・・感慨深いものがあります。会社を立ち上げていなかったら、絶対に接点をもつことはなかった人たちとこのように接点を持つことができることが、なにか不思議な感じです。この若い世代が次の(有)ペーパー・シャワーズを引っ張っていってくれることを願っています。

翌、4月2日には、飯田市を2020東京オリンピックの聖火リレーが通過していきました。急遽、新人研修をとりやめて、みなさんで見学に行きました。

 

新人の皆さんにとっても、思い出深い、飯田での入社式、新人研修のスタートになったと思います。よかったですね。

2週目からは、まかせての各地の事務所をまわったり、座学がスタートしました。

第3週目には、まかせてグループの営業会議にも初めて出席し、研修課題のひとつをみなさんの前で発表もしました。堂々としていて、この2、3週間で社会人としての貫禄も見られるようになりました。

先輩社員の働き方も変わってきました。なにか、お兄さん、お姉さんぶりが目立ってきました。新しい風も吹いています。さぁ、みなさんで、2021年度も盛り上げていきましょう。

 

 

2021

03.30

(つづき)

10年前の3月11日東日本大震災が発生しました。

東北地方でポスティング業を営む㈱アオバヤさんと当社はいろんな情報交換をしながら、社員同士の交流も生まれました。

震災から2年後の秋、㈱アオバヤさんが主催して被災地の沿岸部40kmを歩くチャリティーウォークイベントを開催するという情報が入ってきました。当社でも社員に募集して一緒に参加しようと呼びかけました。当時?の若手を中心に数名が参加することになり、レンタカー2台に分乗して一路仙台を目指しました。

↑長野を出発するときの様子です。皆、まだ震災から2年たった被災地をどんなふうに歩くんだろうと考えながら、40km完走?完歩できるかなと不安いっぱいでした。

↑ 出発は、仙台空港の近くでした。当社関係の参加者全員で出発前に、「配布魂」タオルを広げて記念写真をとりました。仙台空港にも大津波が押し寄せ、大変な被害を受けていましたが、このころには、滑走路と空港施設の復旧がすすみ、定時運行ができるまでになっていました。当時の被害状況がわかる写真がパネル展示されていました。

↑チャリティウォークは、参加者4000人を超える大規模なイベントでした。多くの参加者が震災を忘れないように、被災地の復旧状況を見ながら歩きました。

 

↑途中、このように廃校になった小学校の近くを歩きました。ここまで、大津波が襲ったのだと思うと、自然災害の怖さを実感しました。近くには、まだまだ壊れたままの民家も散在していました。高台には、災害仮設住宅も遠くに見ることができました。

なんとか7時間ほどかけて、40kmを歩きとおし、仙台市内の公園にあったゴールにたどり着きました。当社の関係者は、ほとんどが完歩することができました。

↑ゴール地点では、㈱アオバヤの社長さんが、ひとりひとりの完歩者に握手をしてくださり、多くのスタッフが拍手で迎えてくれました。完歩した達成感とこんなに多くの方がゴールで祝福してくれるという演出に感動したことを覚えています。足が悲鳴を上げていましたが、一気に疲れも吹き飛びました。

近くには、飲食やマッサージの出店もあり、みなさんくつろいでいました。震災の被災地を40kmも歩くことにより、震災への認識も深まりました。

当社関係者は、折角仙台まで来たので、もう1泊して、翌日は、伊達政宗像がたっている仙台市を一望できる公園を訪ねました。戦国武将の格好をしたボランティアの皆さんが一緒に写真に収まってくれました。

 

※今年、東日本大震災から丸10年ということで、さまざまな報道やイベントがありました。また、このタイミングで震度5強の地震が2回、東北地方を襲いました。津波注意報も出されました。

私もあらためて、10年前の写真をみていて、当時のことをいろいろと思い出しました。震災は、㈱アオバヤさんとの交流のきっかけになったおおきな出来事だったと思いました。福島にも何回か足を運び、放射線汚染からの復旧の様子を見る機会もおおくありました。

どんな場面にも、全国から来ている若者の姿があり、勇気づけられたことを思い出します。

あれから10年、ポスティング業は、全国的にみるとおおきな産業に成長してきました。

日本ポスティング協同組合の活動をとおして、多くのポスティング会社とも交流させてもらうことができました。なにか、ひとつのことをずっと続けていると、いいことがあるなと思う今日このごろです。これからは、なにか恩返しができる活動ができるといいなぁなんて、漠然と思っています。

(東日本大震災から10年のブログシリーズは今回でおわりです)

 

 

 

 

 

 

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