東北への旅~ひと夏の冒険―2(禁酒村)

2024

09.14

(前号からのつづき)

タクシーは、平坦な道を住宅街に沿ってどんどん進みます。景色から東北を特徴できるものは見当たりませんでした。

私「斎藤實って、地元ではどのように思われているんですか?」運転手さん「もちろん、郷土の誇りですよ。5年くらい前までは、市も力をいれて記念館をアピールしていたけど、最近はあまり聞きませんね。最近の若い人は、斎藤を知らない人もいるかも知れません。タクシーの運転手の講習会でも、観光客にこういうふうに話すようにといったことを学ぶんですが、最近は斎藤實記念館へ行く人も少ないねぇ。」

私「二・二六事件で殺されたというところしか、知られていないかもねぇ。ところで、いつも駅前にはタクシーが待っていないんですか?1台もいなくて今日、びっくりしたんですけど。」

運転手さん「あぁ、すみませんねぇ。今週から4回目のワクチン接種が始まったんで、高齢者を接種会場へ運ぶんで、忙しくてねぇ。」

私「そうだったんですか、経済がきちんと回っていていいですねぇ。」

こんな会話をしていると、ほどなく斎藤實記念館に着きました。

 

 

 

大きな森のなかに、瀟洒な洋風な記念館がみえました。入り口で入場料を払い、コロナ対策の連絡先を書いて、中に入りました。先ほどお金を受け取った女性学芸員さんが、館内を先回りして、電気をつけてくれました。どうやら、私が本日最初の来館者のようです。

 

斎藤實(さいとうまこと) (1858年生~1936年没、昭和7年5月~昭和9年7月内閣総理大臣)

総理大臣であった犬養毅海軍将校らによって殺害された五・一五事件のあとの第30代内閣総理大臣として、陸軍関東軍による前年からの満州事変など混迷した政局に対処し、満州国を認めなかった国際連盟を脱退しながらも、2年1か月という当時としては長い政権を保ったが、帝人事件での政府批判の高まりにより内閣総辞職した。その後内大臣となって宮中にまわったが、直後に二・二六事件で暗殺された。(ウィキペディアより)

 

私は、静寂な館内である言葉を探して展示物をひとつひとつ見ていきました。今回の東北の旅の目的は、「ことば」探しでした。記念館のなかはこじんまりとしており、分かりやすい順序で斎藤實の生涯が分かるようになっていました。特に、二・二六事件の展示物には、圧倒されましたが、とりあえず私の目的はある「ことば」を探していました。

 

 

ここにもない、ここにもない。

ついに斎藤實の書庫の部屋にたどり着きました。すごい量の蔵書と書物・出版物がきちんと整理整頓されていましたが、このなかから「ことば」を探すのは容易ではありません。ついに、あきらめました。

 

 

帰り際に、来館者ノートというのがあったので、私はそこに書き記しました。

 

 

 

 

 

 

そうです。私はこの「ことば」を探してきたのです。先ほどの女性学芸員の方にもそのことを伝えました。

学芸員「斎藤は、多くの書を残しており、その書が日本全国に散らばっています。もしかしたら、同じ「ことば」があるかも知れません。ちょっと、お時間をいたただいて、必ずやお返事したいと思います」

と言ってくれました。「ありがとう」と礼をいって、記念館をあとにしました。ちょうど、玄関をでて、庭を歩いていると、本日2人目の来館者が私とすれ違いに玄関に入っていきました。時はすでにお昼時になっていました。

 

なぜ、その「ことば」を探して、東北の斎藤實記念館にまでやってきたのか?それは、禁酒村の歴史にありました。

 

(つづく)

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