(前号からのつづき)
ぶらぶらと斎藤實記念館から、在来線の最寄り駅に向かって歩きました。するといたるところから「大谷翔平」の名前が目に飛び込んできました。
宝石店でも
お茶やさんでも
スポーツ店でも
そしてJRの駅前の広告塔にもおおきな大谷翔平が踊っていました。
そうです。ここは、大リーグエンゼルスの大谷翔平選手が、中学生までを過ごした町でした。花巻東高校で全国にその名を轟かすまでは、大谷翔平選手はこの町で普通に少年時代を過ごしていたのです。この駅にも、あのスポーツ店にも寄っていたに違いありません。
↑駅の待合室にも、大谷翔平選手が普通にいたことでしょう。
もう何年かすれば、大谷翔平記念館がこの町にできるに違いありません。東北新幹線のタクシー乗り場には、人があふれるかも知れませんし、待合のタクシーも途切れなくなるかも知れません。郷土の偉人となる日も近いでしょう。もしかしたら、もうすでに偉人かも知れませんね。
いつの時代にも、郷土に誇れる偉人がいるといいですね。
その後、東北から帰ってきて、私も日常の生活に戻っていました。
9月になって稲穂が色づき、稲刈りが始まるころ、私の家に東北のあの町の消印のある一通の手紙が届きました。
(つづく)