東急グループ創始者五島慶太の故郷の長野県青木村を訪ねてきました(前編)

2021

12.04

私は20代のころ、横浜の会社でサラーリーマンとして働いていました。そのころ、東急東横線の始発渋谷駅からの終着駅は、桜木町駅でした。今は、横浜←→桜木町間は廃線となり、横浜駅からは地下にもぐり、みなとみらい21をとおり横浜中華街まで伸びています。

会社は、桜木町駅から徒歩3分のところにあったので、毎日東横線を利用していました。桜木町駅は、いわゆる労働者の町で、終電が終わっても朝まで開いている居酒屋や立ち飲み屋がたくさんありました。土日は、JRA(日本中央競馬会)の場外馬券売り場があったので、大勢の人波であふれていました。私は活気のある桜木町駅界隈が大好きでした。

私も東急線の沿線に住んでいたので、東急電鉄グループにはなにか親しみを感じています。渋谷109東急百貨店や東急ハンズなども東急ですよね。亜細亜大学や東京都市大学(首都大学)などの大学創立にも大きくかかわっています。

その東急グループの創始者が、五島慶太(旧姓小林)というひとでした。明治15年生まれ、昭和34年に77才で亡くなっています。2000年ころまで、渋谷駅前の東急文化会館の最上階には、五島プラネタリウムがありましたよね。もちろん、五島慶太から名前はきています。

 

その五島慶太は、長野県上田市のとなりの青木村出身ときいて早速青木村へ行ってきました。

村に入ったとたんに、大きな看板が目に入りました。

 

道の駅にも五島慶太の紹介がありました。

 

なんと公園の名前にもなっていました。

 

最近、五島慶太未来創造館というきれいな施設もできました。

 

 

村をあげて、五島慶太を誇りに思っていることが良く分かります。

私の心もうきうきしてきました。東急グループの礎を創ったこんなすごい人が、信州出身だったんだって!未来創造館でじっくりと五島慶太の軌跡を学んできました。(ちなみに入場無料)

 

五島慶太は、その強引なやり方で多くの実業や学校を作ってきたので、あだ名が「強盗けいた」だったということも知りました。そのくらいのアクの強い人でないと戦後復興期に成功を勝ち取ることはできなかったのでしょうね。

 

気持ちがのってきたので、ここまで来たのでパンフレットにあった五島慶太(旧姓小林)の生家を見ていこうと思い、地図を頼りに青木村の山間に入っていきました。

道が狭くなるところに車を停めて、近くの民家でタイヤ交換しているおじいさんに道を聞きました。「五島慶太の生家はどこですか?」すると、このおじいさん小枝を折ってきて、舗装されていない道に、絵を描き始めました。「ここをずっと上っていくと家が途切れる所があって、その右だよ」と・・・。なんか、久しぶりに道を尋ねて、道に絵を書く人に出会えて、ますます気持ちが高ぶってきました。ここの集落は、不思議な静寂につつまれていました。

こんな集落を歩いて登っていきました。

まだまだ先です・・・

 

人っ子ひとり歩いていません。くるまも走っていません。

歩くこと10数分、ついに集落が途絶えました。そこで見たものは・・・・。

衝撃の結末は、数日後にこのブログで・・・。それまで、待てない方は、青木村へ足を運んでみてください。

 

 

五島慶太と青木村に関わる私の物語(後編)をお待ちください。

 

Coming Soon!  後編をお楽しみに。

 

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