上杉謙信と武田信玄の戦さのあと

2018

07.03

各地をまわるとなにかのきっかけで、頭の中で点と点がつながって「あぁ、そうなんだ」と納得できることがあります。最近の経験から、ストーンと腑に落ちたことを紹介します。

初めて長野から北の北陸新幹線に乗りました。

上越妙高駅前に上杉謙信の立派な銅像がありました。越後の国の戦国武将、地元で「毘」という旗を見ると武者振るいする人がいるようです。

 

甲斐の国には、武田信玄。「風林火山」の旗が有名ですね。JR甲府駅前には立派な銅像があります。

 

越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄が戦った場所が、信州の川中島。当時最大の戦死者を出した壮絶な戦いだったそうです。川中島古戦場跡には、2人の戦闘の様子が像になっています。

 

上杉謙信は、紺糸縅(こんいとおどし)の鎧(よろい)に萌黄緞子(もえぎどんす)の胴肩衣(どうかたきぬ)、金の星兜(ほしかぶと)に立烏帽子白妙(たてえぼししろたえ)の練絹(ねりきぬ)で行人包(ぎょうにんつつみ)、長光の太刀を抜き放ち、名馬放生(ほうしょう)にまたがり戦況の進展に注目、乱戦で武田本陣が手薄になったのをみ、旗本数騎をつれ信玄の本営を強襲した。この時の武田信玄は、諏訪法性(すわほうしょう)の兜、黒糸縅(くろいとおどし)の兜の上に緋の法衣、軍配を右手にもち、この地で崩れかかる諸隊を激励指揮していた。この信玄めがけて謙信は只一騎、隼の如く駆け寄りざま、馬上より流星一閃、信玄は軍配で受けたが、続く二の太刀で腕を、三の太刀で肩に傷を負った。(立て看板より)

ここがいまは、当社まかせて長野の配布エリアになっております。地名に「合戦場」というところがあったり、路地裏に祠が祭られていたりと、戦国時代の記憶が残っています。

甲府駅前でみた武田信玄像と、上越妙高駅前でみた上杉謙信像が、長野市の古戦場跡で戦う場面として像になっているなんて・・・、ストーンと腑に落ちた体験でした。

 

 

 

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