東急グループ創始者五島慶太の故郷の長野県青木村を訪ねてきました(後編)

2021

12.15

お待たせしました。

五島慶太と青木村に関わる私の物語のつづきです。後編のはじまりです。

東急電鉄グループの創始者の五島慶太は、長野県青木村の出身でした。青木村に行くと、村全体で五島慶太のことを誇りに思っているということがひしひしと感じられました。私は、パンフレットに載っていた五島慶太の生家を訪ねることにしました。

パンフレットにあった生家の写真と地図をたよりに・・・・

←これが生家の写真

途中で、小枝を折って道に地図を書いてくれるおじいさんに出会い、ワクワク感と静かな集落のたたずまいに酔いながら、山に向かって道を上っていきました。

そして、集落の終わりが見えてきました。

しかし、パンフレットにあったような家がありません!

人の気配がしたので、近くの家の呼び鈴を鳴らしてみました。70代くらいのおばあさんが玄関にでてきて対応してくれました。「あの~、五島慶太の生家はどちらでしょうか?」「あぁ、この目の前のブルーシートがかかっているところだよ。火事で焼けたんだよ。」

えっ!

 

「いつ、火事で・・・?」「えぇーと、あれはな、夏だったな」「おばあさんは、五島慶太って会ったことあるんですか?」「いいや、いいや、私がこの家に嫁って来た頃には、いなかったな。でも、大きな家だった」としばらく雑談に花が咲きました。

平成30年8月14日午後、青木村は激しい局地的雷雨に見舞われました。その時に発生した落雷が原因で、生家は全焼します。奇しくも、五島慶太の59回忌の命日にあたる日でした。

五島慶太の没後、59年目の命日に、落雷生家全焼!

そういえば、青木村が誇る郷土の偉人の生家に行く道に、なぜ、分かりやすい標識がないのだろう?と思っていました。(しかし、そのおかげで小枝で道を書いてくれたおじいさんや、生家のすぐ隣に嫁って来たおばあさんと話ができたのですが・・・)

 

衝撃の事実を目の当たりにして、集落の道を今度は下って、車の置いてあるところまで戻ってきました。

 

 

 

さてと・・・今度は、私の物語にしましょう。

青木村に来たのには、五島慶太とほかにもう一つの目的、「青木村に関わる私の物語」があったのでした。

それは、こんなところに表れています。

青木村消防団・・・村松分団! ん?ムラマツブンダン・・・。

 

 

「社神松村」ですが、右から読むと「村松神社」!ムラマツジンジャ・・・。

そうです、青木村のこの集落は、「村松」であふれているのです。なぜなら、青木村村松という地名だからです。私のご先祖さんも、なにかこの地に関係があったのかな?と想いを巡らせながら歩いてきました。大変たのしい時間でした。

村松神社のたたずまいも堂々としていて、狛犬が2体きちんと鎮座していました。戸には、厳重なカギがかかっていましたが、その横に少し穴があいていて、賽銭を入れるようになっていましたので、ありったけの小銭を入れてお参りしてきました。

そして振り向くと・・・

 

農村歌舞伎か、浄瑠璃なんかを演じるような大きな舞台の建物がありました。きっと、この広場にたくさんのひとが集まるお祭りがあるんだろうな。全国の村松姓の人たちが集まるお祭りを開けば楽しいだろうな・・・などと思いながら青木村をあとにしました。

いかがでしたか?

五島慶太と青木村に関わる私の物語、2回に分けてご覧いただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

ページ上部へ戻る