被災地の沿岸部40kmを歩きました。(東日本大震災が発生したころに考えていたこと)

2021

03.30

(つづき)

10年前の3月11日東日本大震災が発生しました。

東北地方でポスティング業を営む㈱アオバヤさんと当社はいろんな情報交換をしながら、社員同士の交流も生まれました。

震災から2年後の秋、㈱アオバヤさんが主催して被災地の沿岸部40kmを歩くチャリティーウォークイベントを開催するという情報が入ってきました。当社でも社員に募集して一緒に参加しようと呼びかけました。当時?の若手を中心に数名が参加することになり、レンタカー2台に分乗して一路仙台を目指しました。

↑長野を出発するときの様子です。皆、まだ震災から2年たった被災地をどんなふうに歩くんだろうと考えながら、40km完走?完歩できるかなと不安いっぱいでした。

↑ 出発は、仙台空港の近くでした。当社関係の参加者全員で出発前に、「配布魂」タオルを広げて記念写真をとりました。仙台空港にも大津波が押し寄せ、大変な被害を受けていましたが、このころには、滑走路と空港施設の復旧がすすみ、定時運行ができるまでになっていました。当時の被害状況がわかる写真がパネル展示されていました。

↑チャリティウォークは、参加者4000人を超える大規模なイベントでした。多くの参加者が震災を忘れないように、被災地の復旧状況を見ながら歩きました。

 

↑途中、このように廃校になった小学校の近くを歩きました。ここまで、大津波が襲ったのだと思うと、自然災害の怖さを実感しました。近くには、まだまだ壊れたままの民家も散在していました。高台には、災害仮設住宅も遠くに見ることができました。

なんとか7時間ほどかけて、40kmを歩きとおし、仙台市内の公園にあったゴールにたどり着きました。当社の関係者は、ほとんどが完歩することができました。

↑ゴール地点では、㈱アオバヤの社長さんが、ひとりひとりの完歩者に握手をしてくださり、多くのスタッフが拍手で迎えてくれました。完歩した達成感とこんなに多くの方がゴールで祝福してくれるという演出に感動したことを覚えています。足が悲鳴を上げていましたが、一気に疲れも吹き飛びました。

近くには、飲食やマッサージの出店もあり、みなさんくつろいでいました。震災の被災地を40kmも歩くことにより、震災への認識も深まりました。

当社関係者は、折角仙台まで来たので、もう1泊して、翌日は、伊達政宗像がたっている仙台市を一望できる公園を訪ねました。戦国武将の格好をしたボランティアの皆さんが一緒に写真に収まってくれました。

 

※今年、東日本大震災から丸10年ということで、さまざまな報道やイベントがありました。また、このタイミングで震度5強の地震が2回、東北地方を襲いました。津波注意報も出されました。

私もあらためて、10年前の写真をみていて、当時のことをいろいろと思い出しました。震災は、㈱アオバヤさんとの交流のきっかけになったおおきな出来事だったと思いました。福島にも何回か足を運び、放射線汚染からの復旧の様子を見る機会もおおくありました。

どんな場面にも、全国から来ている若者の姿があり、勇気づけられたことを思い出します。

あれから10年、ポスティング業は、全国的にみるとおおきな産業に成長してきました。

日本ポスティング協同組合の活動をとおして、多くのポスティング会社とも交流させてもらうことができました。なにか、ひとつのことをずっと続けていると、いいことがあるなと思う今日このごろです。これからは、なにか恩返しができる活動ができるといいなぁなんて、漠然と思っています。

(東日本大震災から10年のブログシリーズは今回でおわりです)

 

 

 

 

 

 

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