東北への旅~ひと夏の冒険ー3(大谷翔平)

2024

09.22

(前号からのつづき)

 

ここに昭和8年(1933年)ごろの新聞記事があります。おおよそ、書いてあることはこんなことです。

 

「昭和8年9月1日、関東大震災の記念日に明治神宮外苑にある日本青年館にて、東京都下の20村の村長が集まる会合で、全国の禁酒村の村長を招いてその活動を聞く集まりがあった。招かれたのは、青森県三好村、茨城県高田村、神奈川県大澤村、石川県河合谷村、石川県笠谷村、富山県南谷村、愛媛県日振島村、香川県栗井村、岐阜県間瀬村、長野県三穂村の10村の村長でした。

全国禁酒村の草分けである石川県河合谷村の森山村長からは、全村禁酒に励んだ結果、貧乏な寒村に学校を建てることができたと報告があった。また、禁酒を実行してからの村は、

  • 病人が5割減った。
  • 貯金が5年間で3万円もできた。
  • 全村300戸のうち、2割近い50数戸が改築された。
  • 伝染病が皆無になった。
  • 訴訟、喧嘩がなくなった。
  • 犯罪が皆無となった。
  • 花柳病(性病)患者が0パーセントになった。

など良いことばかりになった。

翌2日には、10村の村長は首相官邸を訪問し、斎藤實首相へ直接意見を開陳した。」

 

時の首相、斎藤實は、全村の村長に、「よくやりました」とほめて、「克勤克儉」の扁額を送ったということでした。

 

昭和初期の日本は、ニューヨーク市場での生糸大暴落後の世界恐慌の中で、「貧富の格差拡大」「物価の高騰」「農村の疲弊」「雇用への不安」「関東軍の暴走」など令和の現代にも通じる状況でした。主要人物の暗殺も相次ぎ、社会不安が増長していました。そのような時代において、全国で禁酒を励行する村が表れて、首相官邸において表彰されたということになると思います。

 

10村のひとつ、長野県三穂村が、私が生まれた村です。三穂村では、斎藤實首相からいただいた扁額を大事に公民館で保存し、後世に伝えてきました。故郷を離れてずっと過ごしていた私もその事実を知ってから、郷土に誇りを持てるようになりました。

 

公民館で保存されている扁額がこれです。

(儉克勤克は、見たままですが、戦前の漢字などは、読むときは右から読むので、克勤克儉が正しいことばの順序でした。)

 

しかし、正確な読み方、正確な意味を知る人がいなくなっていました。

そんなとき、安倍元首相の暗殺事件をきっかけにこのことを思い出してしまったのでした。

 

その当時の三穂村村長の林治郎が作詞した「三穂更生歌」なる歌詞も公民館に飾られています。そこにも「克勤克儉」の文言が見られます。(歌までつくってしまったすごい!村長ですね。)

 

斎藤實首相は、なぜ、この言葉を禁酒村村長に贈ったのだろうか?

 

そもそも読み方は?その意味は?

 

と知りたいことが次から次へと湧き出てきました。

 

しかし、なぜか斎藤實記念館を訪れたことにより、達成感でいっぱいになりました。記念館を出た私は、そんな故郷の歴史を思いながら、最寄りの在来線の駅までしばらく歩くことにしました。

古民家を改築した町の資料館なども見学して、駅に向かって歩くと、そこは「大谷翔平」であふれている町でした。

(つづく)

 

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