カテゴリー別アーカイブ: 社長ブログ

2024

03.02

平昌冬季オリンピックが大変な盛り上がりの中、閉幕しました。当初は政治的なパフォーマンスばかりが目につきましたが、いざ始まると、アスリートたちの活躍のおかげで、本来のオリンピック競技に注目が集まり、連日の感動のニュースに日本中が湧きました。

連日、新聞の一面を飾りました。特に、長野県は20年前に、長野冬季オリンピックも開催されたこともあり、選手の層も厚く盛り上がりました。スピードスケート500mで金、1000mで銀メダルを獲得した小平奈緒選手のものがたりも皆さんのよく知ることになりました。

こちらが、小平選手が所属することで有名になった相澤病院です。松本市の中核病院です。わたしも何かの検査でお世話になったことがあります。名前入りの救急車?も所有しています。

 

この病院に籍がある女性が、オリンピック金メダリストとは!すごいですね。

私と小平選手の共通項は、同じ大学出身ということです。こんなに名誉なことはありません。

閉会式では、トランプ米大統領の長女イヴァンカ・トランプ女史が参加したことで、メディアの取り上げ頻度も格段に高まりました。

 

そして、なぜか当社まかせて飯田およびすまいポート21飯田店の前には、イヴァンカ・トランプ女史が昨年11月に来日した際のことばが看板になっていました。

イヴァンカ・トランプ女史のことば

「私の娘のアラベラが大人になる頃には、専業主婦かそうでないかが

        区別されない時代であって欲しい。米大統領補佐官 イヴァンカ・トランプ」

私とイヴァンカ・トランプ女史の共通項は特にありませんが、あえて言えば身長が高いということくらいでしょうか?人々に影響を与える人のオーラは、容姿においても発する言葉においても違いますね。見習わなければ・・・。

 

2024

02.13

2月9日夜に開幕した、韓国ピョンチャンオリンピック盛り上がってきましたね。日本選手がメダルを獲得すると、ニュースにかじりつきになります。そして、選手のものがたりに感激します。マスコミは、こんなネタをいつの間に仕入れていたのか?と思います。

私は、1998年の長野冬季オリンピックをきっかけにして、脱サラしてポスティング業に参入しました。したがって、今年は創業20周年、冬季オリンピックで数えて、長野から5回目の冬季オリンピックを迎えた特別な年です。

1998年2月に、白馬スキージャンプ場でノルディックスキーの試合を観戦しました。世界から集まった観客のまえで、荻原兄弟などのジャンプをみることができました。それに感動して、勤務していた横浜の会社を退職して、4月には、長野県松本市に引っ越してきました。いわば、私は長野冬季オリンピックで人生が変わった一人です。

しかし、世の中には、もっとすごい「長野冬季オリンピックで人生が変わった人」をラジオ番組で知りました。

その人Kさん一家のものがたりは、こんな感じでした。

①Kさんは滋賀県で家族で民宿を営んでいた。

②1998年の2月のある日、たまたま宿泊客がゼロであった。

③Kさんは、奥さん子供3人(小学生、保育園)をつれて、くるまで長野へオリンピックを見に来た。

④チケットを持っていなかったので、長野駅前で通行人に声をかけて、観戦チケットを購入した。それが、たまたまアイスホッケーの決勝戦であるロシア対チェコ戦だった。

⑤たまたまチェコの応援席に陣取り、熱狂的なチェコのファンの間に交じって応援した。

⑥チェコが1対0でロシアに劇的な勝利、長野市内で開催された優勝祝賀会にもでかけた。(これは母国では大ニュースでいまだに「ナガノ」と語り継がれている)

⑦そこでチェコの選手が子供たちにいろいろと話しかけてくれた。「アイスホッケーは楽しいよ」「もしやりたくなったらチェコにおいで」・・・子供たちはチェコの人たちに囲まれて感動していた。

⑧長野冬季オリンピックが終わり、子供たちも感動が忘れられず、滋賀県でアイスホッケーをしているチームを見つけて練習に参加した。

⑨しかし、本場ではなかったため、なんとなく物足りなかった。子供たちがご両親に「チェコに行きたい」と嘆願した。

⑩ご両親は一大決心して、商売をたたんで、家族5人でチェコに移住。

⑪チェコでも宿屋を始めた。こども3人(長男、長女、次女)はすくすく育ち、地元アイスホッケーチームで活躍。

⑫長男はすでに選手生活はリタイア、長女、次女はいまでもチェコのアイスホッケーのチームで活躍中。ピョンチャンオリンピックには、出場できなかったが、次回狙っている。ということでした。

ラジオ番組のパーソナリティ氏は、実際にチェコ在住のKさんと番組の中で国際電話して話を聞きだして、感動していました。視聴しているだれもがびっくりのKさん一家の人生でした。

約1時間後、番組が終了しようとしているところへ、視聴者から番組あてにメールが届きました。「昨年、チェコを旅行したときに、Kさんの宿に泊まりました。優しくもてなしてくれたKさんにこんな物語があったとは知りませんでした。」と。

すごい番組構成です。

わたしは、人生に成功しているひとのことばづかいに注目しました。共通点は、「たまたま」ということばをよく使うことです。たまたまの偶然をプラスに持っていける人が人生の成功者ではないかと、私もそうなりたいものです。ともかく、Kさんの人生には、感動しました。

 

実は、私がいま住んでいる長野県の田舎村(400世帯ほど)の出身者が、ピョンチャンパラリンピックでアイスホッケーの選手に選ばれています。30代で交通事故で片足を切断したどん底から、たまたまパラアイスホッケーに出会い、ついにパラリンピックに出場するなんて。だまっていても郷土愛が芽生えてしまいます。地元の自治会経由で支援金募金に協力もしました。

 

オリンピック(パラリンピック)にまつわるものがたりには、いつも感動してしまいます。

初心に戻ろうと思いました。

2024

01.25

平成の世もあと1年と3ケ月ほどになりました。昨年末に、政府は、現在の天皇が平成31年4月末をもって生前退位されると発表しました。したがって、平成31年5月からは、新しい元号になりますが、多方面への影響(カレンダーなどの準備)を考えて、今年の夏ごろに新元号が発表されるようです。

←社長室へ向かう通路のようす

慣れ親しんできた、平成の元号がもう少しで使えなくなるのですね。昭和から平成へ変わったとき、なにかぎこちなく聞こえたのに、30年たつと体の隅々まで浸透しているのは、不思議な感覚ですね。平成になったとき、なにか新しい時代が始まるという予感がしました。

さて、と。

平成のつぎは?

どんな元号になるのだろう?

たのしみ・・・、どんな影響があるのだろう?

そこで、当社新年会では、不遜ながら新元号を予想するクイズにさせていただきました。ゲストの皆さんと当社社員が投票箱へ投票する形式をとりました。1人3枚以内ということで、投票箱に新元号を予想して書いた紙を、投函しました。

これです↓

 

老若男女、金髪ミニスカ娘も、スーパーマリオ君も、かおなし妖怪もみなさん、投票してもらいました。投票後、皆さんのまえで投票口をガムテープで密封しました。このまま、誰も手が付けられない状態にして、社長室の棚にしまい込んであります。

これを開封するのは、平成31年1月の当社新年会の場でと宣言してあります。今年の夏ごろに発表になっているので、来年の1月には、もちろん日本中に新元号の話はいきわたっていることでしょう。しかし、平成30年の当社新年会で、どんな元号を書いて投票したかは、皆さん忘れていることでしょう。

平成31年1月の当社新年会では…

平成の次はな~に?クイズの投票箱を開けて、1字もかすらないグループ、1字合っていたグループ、字は違うけどなんとなく似ているグループに分けて展示します。その中から、ニアミス賞、語感賞、ありえない賞、きらきらネーム賞、平成の次の次に推薦賞、などを決める予定です。これらの賞に該当した元号を考えた方には、デコレーションケーキ(3000円相当?)を希望日にお届けします。

万が一、新元号とぴったし(カンカン)当てたひとには、5万円相当の旅行券をプレゼントします。

いまから、来年平成31年1月の当社新年会が楽しみになってきました。投票していただいた皆さん(当社社員、ゲストの方々)ありがとうございました。

当社の壮大な企画魂?ノリ?社風?理解できました?これを読んでくれた皆さんのご家庭、職場でもやってみたらどうでしょうか?今年の春ころまでが実施リミットですよ。

 

 

 

 

2024

01.12

あなたは、1年に何回昼食をとりますか?1年365日だとすると、普通、人は、365食の昼食をとることになります。会社に出勤している日が1年に250日ほどだとすると、あなたは出勤時には、どんな昼食時間を過ごしていますか?
この時間の過ごし方の積み重ねが、意外と仕事に響いてくるのです。

私の場合は、立場上、会社では社長ということになりますが、なるべく社員と昼食(時には夕食)をとるようにしています。美味しいものを食べているときは、会話が弾みますし、コミュニケーションが深まり、良いアイディアが生まれます。

そこで、2017年総決算。社長の昼食+夕食風景10連発のつづき(その2)をお届けいたします。(一部お客様との会食)

 

⑦会話が弾む日本蕎麦屋さん

遠方より、お客様が見えました。こういう時には、高級なお店より、その土地にしかないレアなお店にご招待しております。長野県の場合、高級ステーキ屋さんへ案内するよりも、珍しい蕎麦屋さんへ案内したほうが、断然喜ばれます。

こちらの日本蕎麦屋さんは、人里離れた山の中腹にぽつんとあります。古くからあった農家の蔵を改造しておりますが、内装は外国人に喜ばれそうな、純和風なお店です。しかし、ともかく料理がでてくるのに時間がかかる、そばの量が少ない、そのうえ値段が高い、・・・というお店です。

他にお客様がいないのに、注文してからそばがでてくるのに30分を超えたことがあります。それでも、私はここにお客様を案内します。それは、美味しいから、そのうえ、景色が絶景だからです。料理がでてくる時間も会話が弾む貴重な時間と思えば、苦にはなりません。ベランダにでて、絶景を堪能しながらひたすら待ちます。経営している若いご夫婦のこだわりは、いたるところにでています。それが楽しみなんです。

 

⑧すごい昭和な焼き肉屋さん

長野県では、珍しいそば屋さんが喜ばれますが、この町では、焼き肉屋さんへお連れすると喜ばれます。その例です。

このお店では、牛、豚、羊、鹿、猪などのレアな部位がいろいろとあり、通ごのみです。ところで、この男性が持っている袋はなんだと思いますか?

 

実は、この袋の中には、男性の上着が入っています。こちらの焼き肉屋さんは、昭和そのもののお店。店内は、焼き肉の煙でもうもうとしています。無煙ロースターなんて無縁です。えへん。

それで、着ているものに焼肉のにおいがついてしまうのです。そこで、このごみ袋?がお店から配られ、お客様はこのごみ袋に上着を入れて、用意された(紙製ではない本物の)エプロンをして焼き肉に励むのです。分かります?この昭和レトロな感覚!現代では、それがまた人気を呼び、お客様がどんどん入っています。観光マップにも必ず載っている名店です。

⑨昭和レトロなら負けません、ガラクタ屋?食堂?居酒屋?不思議なお店です

 

      

丸形ポストの上に、猫が気持ちよさそうに寝ています。猫はぬいぐるみです。犬は、蓄音機を聴くビクターの犬だったのでしょうか?

 

カウンターと畳のこあがり一面、上から下まですべて昭和レトロです。すべて本物。

 

銭湯ののれんのむこうにも客席があります。決して、女湯を覗いているわけではありません。店内ディスプレイです。

トイレのドアは・・・

なんと、1964年の東京オリンピックのポスターが張られているところが便所の入口です。すべて本物の看板、ポスター、旗などが使われています。

料理はというと・・・

 

和風、洋風、中華となんでもそろっています。食後のデザートも、コーヒー、パフェ、プリンとなんでもあります。あまりにも内装とミスマッチですが、連れて行った社員の皆さんには喜ばれています。「このお店一度入りたかったんだけど、一人では入る勇気がなかった、社長に連れられてきて良かった」と喜ばれています。横浜から田舎の町に越してきたご夫婦が10年ほど前から始めた、昭和レトロ食堂&居酒屋でした。決して、ガラクタ屋ではありません。

⑩農家の軒先、肉そば屋さん

そのお店は、幹線道路から入った農家の敷地内にあります。こんな感じの農業用ハウスの隣の小さな小道を進んでいきます。

ちょうど、地域の特産である干し柿を農家の方が天日に干していました。その先に、そば屋さんが見えてきました。普通ではありえない場所に最近オープンした肉そば屋さんです。農家の若主人が、広い敷地の一角で一発奮起して始めたお腹いっぱいになる肉そば屋さん。

日本そばを、大きな鶏肉が入った温かいツユにくぐらせて食べます。この日は、かき揚げをトッピングでつけました。完成度高いのに庶民的、おしゃれ、隠れ家的・・・、若い恋人たち、工事現場で働く人たち、サラリーマン、農家のおじさんおばさん、いろんな人たちの社交場になっている感じです。

連れて行ったお客様、社員がみな満足してくれます。その後、通い続けるリピーターが増えています。

 

ふぅ、

なんとか2回に分けて、10連発ご紹介できました。

子育て中のことばとして、食育ということばが使われます。しかし、社会人になっての会社人生においても食育は続いているような気がします。

毎日なにげなく食べている昼食にも、変化を持たせて、なるべく誰かと一緒に食べにいきましょう。そこでのコミュニケーションの積み重ねが、人生に楽しみを与えてくれます。

本年も、当社の社員の皆様、社長のお誘いにぜひ、快くお付き合いのほどよろしくお願いします。

 

 

2024

01.04

2018年(平成30年)新年 明けましておめでとうございます。

本年もまかせてグループおよびすまいポート21をよろしくお願いします。

 

新年になって、地域組合と親せきの2回の新年会をこなし、やっとホッしたので、恒例の家族で映画館に行きました。

新年初の映画は、VFX撮影・監督の山崎貴氏(松本縣ヶ丘高校出身)の最新作「DESTINY鎌倉ものがたり」でした。

 

ALWEYS三丁目の夕日シリーズの出演者、制作陣の映画とあって、期待を裏切らない面白いファンタジー映画でした。

実は、私、1980年代の後半、5年ほど、鎌倉に住んでいたことがあり、毎日江の島電鉄(江ノ電)で会社に通っていたのです。土日には、下宿の大家さんの飼い犬(ロンという名前だった)を借りて、鎌倉の山道(けものみち)や稲村ケ崎海岸を縦横無尽に散歩したものでした。映画にでてくる場所には、思い出の場所がたくさんでてきました。懐かしい風景でした。このころ、原作の西岸良平氏が「鎌倉ものがたり」を漫画雑誌に連載していましたが、私はこのマンガの存在は知りませんでした。

ちょうど、サザンオールスターズが「kamakura」というレコードアルバムを発売したころでした。この中から、「Bye Bye My Love」「鎌倉物語」などがヒットしていました。鎌倉物語は、桑田佳祐の奥さんの原由子が、甘ったるい声で「かまくらよ、な~ぜ・・・」という歌いだしでヒットしたバラードでした。

 (サザンの8枚目のLPレコードアルバム「kamakura」)

当時、若者雑誌のブルータスが鎌倉特集を組み、そこで紹介されていたいわくつきの洋館の場所を探しだして、どんな人が住んでいるんだろうと何回も見に行きました。そのころ勤めていた会社の若者男女が大挙してわが鎌倉の下宿先に遊びにきたこともありました。ブルータスに載っていた洋館の場所を教えると、皆喜んでくれました。そんな時代でした。

(ブルータスに載っていた鎌倉の洋館)

行きつけの床屋、らーめん屋、銭湯(風呂なしの下宿だったので)、鎌倉駅裏口前の映画館、食堂、書店などがあったなぁと思い出しました。もう、30年近く行ってないな、鎌倉。

今の私の原点が、鎌倉にあったことは確かです。世の中は、バブルで踊っていましたが、当時私は鎌倉でそんな狂騒とは無縁の生活をしていました。それにしても、映画と音楽で鎌倉に会えるのは、うれしい限りです。

今年は、ポスティング事業の創業20年の年、もう一度、私の人生の原点、鎌倉からスタートしてみようと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024

12.25

あなたは、1年に何回昼食をとりますか?1年365日だとすると、普通、人は、365食の昼食をとることになります。会社に出勤している日が1年に250日ほどだとすると、あなたは出勤時には、どんな昼食時間を過ごしていますか?

この時間の過ごし方の積み重ねが、意外と仕事に響いてくるのです。

私の場合は、立場上、会社では社長ということになりますが、なるべく社員と昼食をとるようにしています。美味しいものを食べているときは、会話が弾みますし、コミュニケーションが深まり、良いアイディアが生まれます。

そこで、2017年総決算。社長の昼食風景10連発をお届けいたします。

①まずは浅間山が見えるこちらのお店。

 

これは、まかせて〇〇の近くにオープンしたお店。料理よりも、特徴的な天井に見入ってしましました。天井に、きれいな浮世絵が描かれています。

江戸時代の大人が遊ぶところのようです。料理は、

定番メニューがなんでもありでした。お手頃なお値段で美味しかったです。

②次は、

 

ドローン使用禁止の看板が今風な長野の善光寺さんの近くで冬にステーキ屋さんへ行きました。高級老舗料理やさんでした。

今後の人事戦略などをざっくばらんに意見交換しました。

③次は、本社ちかくのイタリアン料理やさん。

アメリカ人の夫と日本人の奥様が10年ほど営んでいる田舎の小さなイタリアンレストランです。私がポスティング中に偶然見つけました。国道から少し入った奥まったところにある穴場です。一緒に連れて行った女子社員が気に入って、その後何回も家族で行っているそうです。

④これもイタリアンレストランです。ある高速インター近くの広くてきれいなレストランでした。

土曜日にある地域の社員全員が出勤して、あるテーマについてアイディア出しのディスカッションを行いました。頭を使った後って、意外とおなかが空くんですよね。休日出勤でしたが、いいアイディアがたくさんでたので、ご褒美にちょっとハードルが高かったレストランへみんなで入りました。器も大きくて、料理はもちろん最高においしかったです。

⑤次は、4月の当社入社式のあとの新人を交えた昼食会。近くの日本料理屋さんでおそばの定食でした。人数が多かったので、なかなか料理がでてこなくて、いらいらしたことを覚えています。料理がでてきたあと、みなさん一気に静かになりました。

⑥次は、特別に珍しい料理でしたね。

 

社員と一緒に半日、営業した後に、最近オープンしたそば屋さんへ行きました。でも普通のそば屋ではありません。わかりますか?屋根のうえにある、あの瓦のうえに日本そばが載せられていて、熱せられている瓦の上で具と混ぜ合わせて食べます。瓦にこびりついた日本そばをとる刷毛も用意されています。こんなそばの食べ方があるとは思いませんでした。

食べ終わると、当たり前ですが、瓦がそのまま残ります。

10連発の予定でしたが、今回はここまで。まだまだもっとすごいお店に行きましたが、写真がないので次回にまわします。写真が見つかるまでいましばらくお待ちください。お昼を楽しむというのは、まかせてグループでは大切なお仕事のひとつです。なぜなら、ポスティングへ移動型配布員と行くときには、お昼付きなので、お店探しも大切なノウハウ?センス?なんです。それも700円以内で食事ができるところを探さなければいけません。

 

当HPのブログの写真で料理ものが多くなるのは、そのせいだと思います。ハイ。

 

次回、乞うご期待!

2024

12.04

私は、サラリーマン時代、横浜で約10年間働いていました。孤独な独身時代を経て、バブルがはじけたころに結婚して子育てしていました。その後、長野県松本市で創業して、約10年ほどは余裕がなく、横浜に行くことはなかったのですが、サラリーマン時代の同僚の死により、横浜の地を再び踏むことになりました。

不思議な縁です。いまでも、年に何回かは、横浜へ行く用事がありますが、必ず、同僚のお墓参りを兼ねていくことにしています。同僚は、横浜のある主要駅から徒歩3分の霊廟ビルの中のお墓に眠っています。参拝料を支払ってボタンを押すと、自動エレベーターにのって、遺影が現れるという、現代的なお墓です。

さて、今回の横浜行きの前に、山梨県韮崎駅でこんな風景を見ました。

白鷺がショッピングセンターの上に、行儀よく止まって羽を休めています。不思議なことにほぼ、等間隔ですね。行儀がいいですね。

 

横浜に着いて、山下公園を散策しました。私が20代に飛び込み営業しながら、時々?休んでいたベンチもありました。ふと海辺をみると、こんな風景に出会いました。

かもめが、これまたほぼ等間隔で氷川丸の錨のくさりの上に止まっていました。

よく京都嵐山の鴨川河川敷や、横浜みなとみらいの防波堤に、夜になるとカップルが自然に等間隔に座るというようなことが話題になります。人間や鳥は、本能的に等間隔に同じような行動をとってしまうのでしょうね。

私は、横浜でのサラリーマン時代3回ほど引っ越ししました。結婚して初めて住んだアパートは、相鉄線沿線にありました。今回、久しぶりに相鉄線に乗りました。懐かしいです。

懐かしい電車です。毎日、通勤していた電車です。

何か変!

つり革が・・・・

ひとつだけ、違う。猫耳カチューシャのようなつり革・・・・。

突然の、和を乱すこの不協和音。しかし、なぜか、上等なセンスと遊び心を感じるこの異質な空間。私は、電車を降りてから、ほかの車両でも同じ位置にこのつり革があるのかと、思いましたが、他の車両にはあったり、なかったりと・・・猫耳カチューシャつり革の法則性を見つけることはできませんでした。

恐るべし、相鉄線のセンス。

こんな遊び心満載な街で、青春時代を過ごしたんだなと思ったら、楽しくなってきました。

同僚への墓参りのおかげです。

そういえば、こういうセンスや遊び心が大好きな奴だったなぁ。

2024

11.07

松阪牛で有名な、三重県松阪市へ行ってきました。日本ポスティング協同組合の経営者勉強会があったからです。初めていく街なので大変楽しみにしていました。

どんな街なんだろう、人々はどんな生活しているんだろう、どんな言葉(方言)をしゃべるのだろう、と新しい街に行くのは、いつもわくわくです。勉強会の前に、街を歩いてみました。

松阪商人という言葉もあるくらい、東西の商人が行きかう元気な街だったようです。三井財閥につながる三井家発祥の地だったんですね。趣のある建物が多い歴史のある街でした。 

生け垣がきれいに整備されている街並みです。松阪城という城跡がある城下町なのですね。御城番屋敷(重要文化財)という長屋がありました。長屋です。つまりポスティング会社的にいうと集合住宅です。

松阪城跡からみるとこんな感じです。

民間所有の重要文化財なのに、人の気配、普通に人が住んでいます。

一部屋だけが、松阪市が借りて内部を公開していました。時代劇にでてくるような土間や畳間がありました。管理人のおじさんに聞くと、「ここは、藩主直属の家臣20人の屋敷として文久3年(1863年)に建築されました。いまでもそのご子孫が住んで普通に日常生活を営んでいます。空き部屋になった数軒の部屋は、一般市民に貸し出しています。人気が高く何人も空くのを待っています。全国でも重要文化財に住めるのは、ここだけだと思いますよ。」

ということでした。確かに、生け垣の間には、赤いポストや自転車が見えて、こどもの笑い声も聞こえていました。

すぐに下世話なことが頭に浮かび、管理人のおじさんに聞きました。

「ちなみに、お家賃はいくらなんですか?」

管理人「いくらだとおもいますか?2部屋あって、トイレやキッチンは今風にリフォームされています。車1台分の駐車場もついています」

「う~ん、・・・」

「8万5千円くらい?」

管理人「おっと、いい線ですね。正解は8万円です」

重要文化財の管理人のおじさんとこんな会話ができて、大満足でした。そうか、8万円で重要文化財に住めるなんて、最高ですね。松阪のひと、うらやましい。

宅配便のくるまが、普通に重要文化財の前に停まって、配達していました。

こんな街並みでポスティングしてみたい!

 

2024

11.04

まかせてグループとしては、絶対に外してはいけない言葉「まかせて」、この言葉に出会うと本能的に反応してしまうのが、当社社員の性といえるのではないでしょうか?

ついにある地方都市で居酒屋「まかせ亭」を発見してしまいました。早速、当社社員を誘って飲みに行きました。昔なつかしい、焼き肉屋さんのようです。

 

普通の居酒屋ですが、どう見ても焼き肉屋さんです。よく、看板を見ると、焼肉居酒屋とあります。ありそうで、なかったカテゴリーです。ディープな感じです。

メニューを見ても、いたって普通です。特徴があまりありません。一人で切り盛りしているご主人に聞いてみました。このお店の名前の由来は?「メニューにないものでも、リクエストがあればつくりますよ、例えばピザほしいとあらかじめ言ってもらえれば、つくります。どんなものでもお任せくださいっていうような意味です。」へぇ~、いたって平凡、名前にもっと思い入れがあると思っていたのですが・・・。

美味しく焼き肉を食べて、帰路につきました。

外観はこんな感じ、いたって普通の【焼肉】居酒屋でした。

えっ、まかせ亭の「亭」に濁点「〃」がついているって?あっ、その意味を聞いてくるのを忘れていました。次回聞いてきます。

えっ、まかせ亭の「ま」の前になにかまだ文字が見え隠れしているって?多分、気のせいです。

2024

10.23

ある村をくるまで通り過ぎたとき、その風景に出会いました。田んぼの稲刈りはほとんど終わり、はざ掛けの美しい風景が途切れたときに、白いものが目に入ってきました。それも、とてつもなく数多く。

こんな感じです。はじめは、白鷺の大群がいるのかと思いました。

       

ヤギです。それも数十頭のヤギ、縄につながれていません。放牧状態です。みな、一斉にともかくひたすら草を食べています。どのヤギも休んではいません。ひたすら草を食んでいます。

この写真を撮った近くの食堂で、おばさんに聞いたところ、「あぁ、あれはヤギで雑草対策しているグループが持ち込んだのよ」「?」「持ち込んだ?」

夜には、車でヤギを集めて、小屋へ運ぶそうです。電気柵でまわりを囲んであるので、逃げ出さないということでした。

 

ポスティング中でしたら、チラシを隠すところですが、(どこかのブログでもありましたね)幸い、ポスティング中ではありませんでした。ポスティングの仕事の大敵は犬というのが定番ですが、農村地帯ではヤギが大敵になるかも知れません。

「気を付けよう、吠えるイヌと 食べるヤギ」

ポスティング川柳がひとつ出来上がりました。

 

 

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