カテゴリー別アーカイブ: 社長ブログ

2026

07.25

6月のある日、イオン飯田アップルロード店の駐車場が、近未来の風景になりました。

 

アメリカの電気自動車メーカーテスラ専用の、高速充電施設=スーパーチャージャーができていました。長野県では、長野市の松代ロイヤルホテルの駐車場についで、2ケ所目になります。早速、名古屋ナンバーや横浜ナンバーのテスラが充電する風景をみることになりました。

しかし、なぜ?飯田に?こんな最先端施設ができたの?

実は、テスラは、毎年のように「どこにスーパーチャージャーが必要か?」という投票を呼び掛けているのです。テスラオーナーだけではなく、オーナー以外も投票できるのです。全世界の充電施設の設置候補地を投票で決めているという稀有な戦略をもっているのです。

さて、全世界での充電施設の設置場所の投票のため、日本だけではありません。ところが、昨年ごろから日本での設置してほしい場所の1位が、iida city.japan だったのです。(全世界の順位では30位ほどだったようです)

スゴイですね。飯田は。これは、飯田にテスラがたくさん走っているということではなくて、名古屋と長野、または名古屋と甲府の中間のどこかにスーパーチャージャーが欲しいという超距離移動するテスラオーナーの要望が多かったということになります。

スーパーチャージャーの設置基準としては、高速道路のインター入り口・出口が近くにあること、充電中に立ち寄れるトイレ施設や飲食店があること、ということのようです。

イオン飯田アップルロード店の駐車場がその基準を満たしていたということです。

しかし、なぜポスティング会社の社長ブログにこのような話題を取り上げるのですか?

えっつ、知らなかったのですか?

「テスラでポスティング」というYOUTUBE動画を?ポスティング業界では、かなり有名です。再生回数も4600回を超えています。

いまからでも遅くありません。皆さんも「テスラでポスティング」動画を視聴してください。

(ほかにも8分バージョンもあります)

 

ともかく、時代はどんどん進んでいます。当社も時代の流れを先取りしながら、確実に発展していく会社でありたいと考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2026

07.18

ポスティング業界でいま一番勢いのある会社、株式会社アトさま。当社の重要な株主でもあります、アト20周年記念パーティが開催されましたので、当社社員数名と一緒に参加してきました。

東京市ヶ谷駅近くの会場には、ポスティング会社の社長さんや責任者の方が全国から集まっていました。その数、150名以上。こんなにたくさんのポスティング会社さんと取引があるというのは、それだけおおきなビジネスを展開しているということになりますね。

奈須田社長のあいさつも、肩ひじはらない、フレンドリーなものでした。さすが現代の経営者は違います。

全参加者が参加するクイズも、QRコードを使ったり、集計ソフトを使われたりして、たのしく参加できる仕組みを作られていました。

最後に、以前㈱アトに在籍していて、その後シンガーソングライターとして活躍されている

小野雄大さん

のミニコンサートが開催されました。オリジナル曲「ポスティングのうた」では、みなで口ずさむことができる、分かりやすい詩でした。ギター1本でこれから音楽界を席巻するゾという気概を感じました。

 

帰りの受付にて、CDを購入し「小野雄大新聞」をもらってきました。

 

 

考えてみると、わがポスティング業界と、アーチストやお笑い芸人との相性が良いような気がしていました。アーチストや芸人が、まだ駆け出しのころ、ポスティングのバイトをしていたという話を良く聞いていました。

たとえば、

★SEKAI NO OWARI の深瀬さん、あるラジオ番組で、ポスティングのバイトをした経験を話し「幸せな時だった」とコメントしています。(その直後、ポスティング会社へ応募者が殺到したとか?)

★サンシャイン池崎さん、2年ほどポスティングのバイトをしていたと発表しています。あるテレビ番組の企画で、スタジオに設置した集合ポストにチラシを配る時間を競い合ったシーンが象徴的でした。あのランニングシャツ、短パン姿でポスティングしていたのでしょうか?配り方もかなり優秀だったとか。

 

ほかにもたくさんのアーティスト、芸人さんが、若いころ、まだ仕事が安定していない頃に、ポスティングのアルバイトをしていたという話をよく聞きます。また、逆に、音楽業界やお笑い業界にいた人が、40代、50代になってから、ポスティング業界へ転向したという話もよく聞きます。

やはり、なにか相性が良いものがあるようです。

私の頭の中で、なにかが弾けました。新しいアイデアがひらめくときはいつもそうです。来年に向けて準備をすすめていこうと思いました。

ともかくも、㈱アトさま20周年、誠におめでとうございます。これからも業界を引っ張っていってください。

 

 

 

2026

06.29

6月28日(水)朝6;00、県下最大級のマクドナルド153飯田上郷店(客席数133席)が、国道153号線沿いの将来リニア新幹線長野県駅の近くにグランドオープンしました。おめでとうございます。

当社㈱ペーパー・シャワーズ本社のある高屋交差点から、数百mほどリニア駅方面へ行ったところにあります。

このマックは、ドライブスルーが2列あるのです。同時に2台のくるまから注文を受けることができるんですね。こんなマック見たことない!(長野県でも2店舗目とか)

 

そして、県下初お目見えが、「専属バリスタ常駐のマックカフェ併設店」であるということ。お店は、朝6;00~24;00オープンですが、マックカフェは9;00~22;00のみ営業しています。専属バリスタがおいしいカフェラテなどを作ってくれます。イメージでいうと、スタ〇〇ックス並みの洗練された空間になっています。

 

店員さんに許可をえて、マックカフェのメニューも写真に撮らせてもらいました。ハンバーガーを注文するカウンターとは別のカウンターです。マカロンやショートケーキもありました。

 

お土産に女子社員へ買ってきたチョコフラッペは、大好評でした。

実は、各地のマクドナルドを展開されているこちらの運営会社も当社の大事なお客様です。スタッフ募集の求人チラシやメニューチラシなどを各地で配布させていただいています。いつも、ありがとうございます。

当社も、お客様と一緒にビジネスを大きくしていきたいと願うばかりです。この度は本当にオープンおめでとうございます。リニア新幹線が開通したら、全国から長野県駅(飯田)に降り立つ人たちの憩いの場になることでしょう。

(余談)

当社まかせてグループのロゴマークと、マクドナルドのロゴマークが一緒に写っている貴重な写真。色は違いますが、同じ「ま」から始まる会社どおし、アルファベットの「M」をロゴマーク化しているということで、親近感がわきます。当社もマックのように、日本全国つづ浦々に展開するお店になりたいと願うばかりです。

 

 

 

 

 

 

2026

06.23

かつや飯田店グランドオープン!おめでとうございます。

お兄さんもお姉さんも、ぼくもわたしも、おじいさんもおばあさんも、み~んな大好きかつや。

かつや飯田店が、先日、飯田市鼎名古熊のアップルロード沿いにブランドオープンしました。約2ケ月前から看板がたっていて、いつオープンするのかなぁとヤキモキしていた方多かったと思います。

オープン初日、当社社員を誘って夕食がてら、行ってきました。オープン中はロースかつ定食など全商品550円。2人の駐車場係のお兄さんが、次から次へとやってくる車を忙しそうにさばいていました。客席は、20席ほどと少なめですが、持ち帰りのお客様が多くて、初日は大繁盛していました。

 

 ←当社社員は、ビールも飲んでいました。

 

実は、こちらのかつやを運営している会社は、当社の大事なお客様です。当社の数十台の社用車が無事動いているのは、こちらの会社のお陰なんです。

いつも当社社用車の運行管理や、事故時に迅速な対応をしていただき、気にかけていただき、ありがとうございます。

とんかつ、かつ丼、ロースかつ定食、かつカレーを食べたくなったときは、かつや飯田店を気軽に利用させていただきますので、今後ともよろしくお願いします。(もちろん、フライドチキンを食べたくなったら、Kフライドチキンへいきます)

 

(余談)

かつやを出た後、スイーツ男子2人のたっての希望により、長野県には2店舗しかないこのような普段女子がいっぱいのお店に行ってきました。

  

リニア新幹線の長野県唯一の駅ができる長野県飯田市は、これからどんどん有名なお店が開店することと思います。注目していきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

2026

06.09

先日行われた当社の「経営計画発表会」は、当社の未来を占うさまざまなしかけがありました。その中でも、記念講演会の講師をお願いした事業構想大学院大学教授 渡邊信彦先生の晴れやかなうきうきしたご講演が印象的でした。

それは、「来週アップルがVR機器を発表するのではないか?」という期待が高まっているというかなり精度の高い情報を教えてくれました。渡邊教授は、VR関連の会社を起業しており、「数年間、この時を待っていた!」とまで話しておられ、期待感MAXのお話でした。

そして、渡邊教授の期待通り、6月5日深夜(日本時間)アップルは、「Vision Pro」という新製品の概略を全世界に向けて発表しました。NHKニュースやYahooニュースなど多くのメディアで取り上げているので、みなさんご存じかと思います。

 

(出典;アップル社のサイトなどから転用しました)

当社で行っている事業、ポスティング業、住宅購入相談事業などでもなにか活用できるのではないかと思いました。当社社員でも最新のIT関連に興味のある若者に聞くと、やはり渡邊教授の話にかなり刺激を受けているようでした。

このような若者たちがこれからの時代を引っ張っていくのだろうなぁと、うれしく思いました。

就職活動をしている若いみなさんも、私たちと一緒に働きませんか?現在、当社では、10月1日入社または、来年4月1日入社予定の正社員、パート社員を募集しています。ポスティングというアナログな業界でもデジタル、IT人材は必要です。詳しくは、当社人事課へお問合せください。

   ㈱ペーパー・シャワーズ 人事課 (担当/北原・柏原)

   電話でのお問合せ 0265-49-3986(平日9;00~18;00)

 

 

 

 

2026

05.08

当社本社の総務課の大きなキャビネットの一角に1つのファイルがひっそりと鎮座しています。タイトルには、「新型コロナ関連資料 2020年」の背表紙があります。

 → 

 

当社㈱ペーパー・シャワーズでは、当時の会社としての対応の記録を1冊のファイルにまとめております。2020年3月に、当時の安倍首相が小中高校へ休校処置を要請して、WHO(世界保健機関)が新型コロナのパンデミック宣言して世界が混乱したころのことです。

こんな感じです。

 

 

まかせてグループ内では、「明けない夜はない通信」という通信を毎週発行して、お互いに励まし合いながら、情報共有していました。その通信もすべて保存されています。

 

 

 

 

私個人的には、コメディアンの志村けんさんが、新型コロナで亡くなったころが、一般市民の恐怖のピークだったような気がしています。人から人にうつる見えない病原菌という敵がまだはっきりとされていなかったころで、他人を異常に誹謗・中傷するような風潮が高まり、世の中が大混乱していました。

 

 

しかし、そのような世相の中でも、ビジネスを着実につづけてこられたのは、本当に奇跡だったと思います。お客様と当社、配布員さん、当社従業員が信頼関係でつながっていたと感じた事例がたくさんありました。

 

そのために、会社としてそのころ何を考えて、何をしていたのかを記録に残す必要があると感じていました。

 

今後、50年後、100年後に新しい感染病原菌による世界的なパンデミックがまた起こる可能性があります。その時に、会社が存続していたらきっと参考になることがたくさんつまっていると思います。

 

もちろん、このファイルを見返すことがないに越したことがありませんが・・・。

 

 

 

(当時の新聞もファイルに保存してあります)

 

 

 

私は、人類ってすごいなぁと感嘆していた日々でした。世間が混乱していても、未知の感染症に立ち向かう専門家、医療従事者がちゃんと対応をしてくれていました。研究者は一斉にワクチン開発にとりかかり、1年半後には、ワクチンが流通し始めていました。政治家は、新型コロナ特別処置法という法律を短期間で成立させ、東京五輪は1年延期されましたが、2021年の夏にちゃんと東京で開催されました。

 

市民の間では他人への誹謗・中傷が大きな問題になっていましたが、そんな中で、それぞれの立場、部署できちんと仕事をしていた人々がいたから、現在があるのだと改めて思いました。私は、ワクチン接種証明書により、いいことやお得なことをたくさん受けることができました。

 

 

後世のひとびとに、このような3年間のことをきちんと伝えていく責務があるように思いました。人間は忘れやすい動物ですから・・・。

将来、新たなパンデミックが発生したときに、このファイルを当社の後世の社員がみつけて役立ててもらえればと、思います。よろしくね。

2026

04.18

3年に渡ったコロナ禍では、他人とマスクなしで会話することや、日常生活空間からの移動が厳しく制限されました。しかし、今考えるとコロナ禍があったからこそ、出会えたというような人の例が皆さんにもいくつかあるのではないでしょうか?私の身近に起きたそんな物語を連載しています。今回は連載5回目最終回です。

 

○○の星物語-5・・・二期生の野菜づくりは農家顔負け(最終回)

 

○○の星一期生が、人事異動で他の地域へ引っ越していきましたが、かろうじて残ったひとりの青年(B青年と呼びましょう)が中心になって、二期生の活動が始まりました。なぜか、二期生は女性が多く、野菜の作り方も本格的になってきました。

ミニトマトやなす、ズッキーニ、ニンジン、ピーマン、とうもろこし、さつまいもと農家顔負けの資材を使って本格的に農業していました。

こんな感じです。

 

ミニトマトやなす、しその葉など

 

 

 

カラーピーマンにズッキーニ、とうもろこしなど

 

 

 

コロナ禍になって3回目の晩秋の11月のある土曜日、収穫祭をやるので、炭やコンロを貸してほしいと言われ、私たち夫婦も招待されました。目の前に畑が広がる例の小屋の前で、炭火焼きバーベキュー大会でした。この日は、最初に我が家にやってきた一期生A青年も異動先の街からはるばるやってきました。一期生と二期生の交流の場のようでした。

 

夜遅くまで焚火をかこんで語り合っている青年たちのエネルギーは、すごいなぁと感心してしまいました。私にもこんな青春があったなぁ、むかしを思い出します。

 

 

今春も二期生のB青年がちょくちょく畑に顔を見せ始めました。これから、どんな出会いがあるのか楽しみです。B青年は、今年は異動がなかったとほっとしていましたが、来年は分からないと言っていました。二期生のみなさん、今のうちにたくさん野菜をつくって楽しんでくださいね。

私たち夫婦も、下宿屋の夫婦の気持ちで、遠くから見守っていきたいと思います。

 

3年間にわたるコロナ禍は、私たちに大きなストレスを与えましたが、そんな中でも新たな出会いがはじまり、新しい一歩を踏み出す青年たちがいました。そして、そんな青年たちをみて、日本の将来はたくましく、明るいと感じることができました。

5回にわたる連載は、今回でいったん終わりとします。また連載できる日を楽しみにしてください。読んで頂き、ありがとうございました。

2026

04.11

3年に渡ったコロナ禍では、他人とマスクなしで会話することや、日常生活空間からの移動が厳しく制限されました。しかし、今考えるとコロナ禍があったからこそ、出会えたというような人の例が皆さんにもいくつかあるのではないでしょうか?私の身近に起きたそんな物語を連載しています。今回は連載4回目です。

 

○○の星物語-4・・・ついに自分たちの基地を建てた

 

コロナ禍に入って2年目のゴールデンウィークは、大都市を中心に緊急事態宣言が出ていました。しかし、○○の星の皆さんは、春から計画的に畑を耕していました。さまざまな野菜の種や苗を買ってきて、計画的に農作業を進めていました。だれか農業の指南をしている人がいるのか、それとも皆で勉強しながらやっているのか、少なくとも農家の後継ぎであった?私よりは上手に畑を使っていました。

同時に小屋を建てるブロジェクトも進んでおり、毎週土日はほとんど我が家に入り浸っていました。ウッドショックのあおりでキット小屋の材料の調達に時間がかかりましたが、どうやらGW(ゴールデンウィーク)に間に合いました。

 

GW中は、連日のように4~5人が来て、組み立て作業に集中していました。設計図を見て思案していたと思ったら、釘を打つ音が1時間続いたりとか、ともかくワイワイガヤガヤ試行錯誤しながら楽しそうでした。私たち夫婦も遠くから見守っていましたが、日ごとに小屋っぽくなっていくのにびっくりしました。

そのときの様子がいくつか写真に残っていました。

 

 

 

そして、ついに小屋完成!

記念の写真を撮りました。

達成感のある○○の星の皆さんの顔が、本当に楽しそうでした。

 

 

 

早速○○の星の皆さんの着替え用ロッカーや、肥料や農薬や資材道具などを入れました。我が家の道具と彼らの道具をきちんと分けたことで、ますます農作業がたのしくなったようでした。小屋の前で何時間も話し合っている姿も見受けられました。

 

この年は1年間を春から秋にむけて様々な野菜作りにチャレンジしていました。秋には、収穫祭のようなことをして楽しんでいました。

2年目の冬が終わって春になるころに、最初に我が家にやってきたA青年をはじめ主要メンバーのほとんどが職場の人事異動によってほかの支店?へ移っていきました。最後の作業日には、私たち夫婦に菓子折りを手渡してお礼をいってくれました。卒業生を見送る、下宿屋の夫婦のような気分になりました。

 

これで○○の星は解散なのかなと思っていたら、人事異動がなかった1人の青年が、○○の星を引き継ぐことになりました。3年目の農作業は、この残った青年がまた新しい人たちを連れてきました。

 

私たち夫婦は、最初に来たA青年のグループを○○の星一期生と呼び、次の世代のグループを○○の星二期生と呼ぶことにしました。

(つづく)

2026

04.03

3年に渡ったコロナ禍では、他人とマスクなしで会話することや、日常生活空間からの移動が厳しく制限されました。しかし、今考えるとコロナ禍があったからこそ、出会えたというような人の例が皆さんにもいくつかあるのではないでしょうか?私の身近に起きたそんな物語を連載しています。今回は連載3回目です。

 

○○の星物語-3・・・コンクリート打ち作業に歓声上がる

 

私は、コロナ禍になって毎週のようにあった出張がほとんどなくなりました。ビジネス上の新たな出会いは少なくなり、名刺も全然減らなくなりました。私の場合は、各地のポスティングのお手伝いに出かけることで、精神状態の安定が図られていました。

我が家に土日にやってくる○○の星の皆さんは、我が家に農作業にくることによって、精神状態が安定してきているようでした。しかし、冬になり、農作業がほとんどなくなり、なにか持て余しているエネルギーの使い道を探しているようでした。私が提案した、コンクリート打ちしてみる?という提案に、やる!やる!やる!と乗ってきました。

 

私は、そのころ、ソーシャルディスタンス、ステイホーム、三密回避と叫ばれていたコロナ禍だからこそできることは何かと休日の過ごし方を考えていました。そこで、父母が残してくれた干し柿づくり用の鉄骨小屋を一人でDIY(Do-it-yourself)していました。

  

 

 

こんな感じの作業を自己流のDIYで、休日ごとにすこしずつ作業を進めていました。

 

中でも小屋の床を張るための土木作業は、重労働で手探りでした。特にコンクリート打ちは、素人には大変な作業でしたが、面白い作業でした。軽トラを運転して、近くの砂利工場から何往復もして砂利を買ってきました。広大な砂利工場で重機を使って砂利を乗せてくれるイラン人の作業員と顔見知りになったほどでした。

 

 

「コンクリートとセメントとモルタルの違いって知っている?」

なんてにわか仕立ての知識を披露しながら、○○の星の皆さんと一緒にコンクリート打ちをしました。重労働でしたが、一気にすすみました。

 

隣家の女の子が2人遊びに来て、コンクリート打ちを興味深く手伝ってくれたりもしました。記念にコンクリートが固まる前に手形をつくりました。この子たちが大きくなったら、懐かしく思うだろうなぁ。

 

○○の星の皆さんは、さすがに若くて力があるので、どんどんコンクリートを打って行ってくれました。○○の星のみなさんもコンクリートが固まる前に、記念にサインしていきました。

 

        ↓

 

 

予定のコンクリートを打って、お茶を飲みながら談笑していたら、今度は次のアイディアが生まれました。

私「土木や大工の仕事をやりたいんだったら、○○の星の皆さんで農機具を仕舞っておく小屋をつくったらどう?今は、小屋のキットなんかもあるから、楽しいと思うよ。」

○○の星の皆さん「えっつ、やりたいです、楽しそう、やります、やります。」

 

ということで、今度は○○の星の皆さんで、小屋をつくることになりました。私が予算を言って、その中でできるものを探してきて、ここの場所になら建てていいよと指示しただけでした。もうひとつ条件、予算内で費用はだすけど、自分たちだけで最後までやってね。私たち夫婦は一切手伝わないよ、と伝えました。

それから、○○の星の皆さんは、目的がはっきりしたので、ネットや雑誌で情報を集めて、予算内で何ができるかを議論しはじめました。どうやら、小屋キットをつくっている富士見町の工場にまで実物を見に行ってきたようです。1ケ月ほどあーでもない、こーでもないとさまざまな検討をして、私にすべての費用の見積もりを出してきましたので、「じゃあ、これでいいよ。」とゴーサインを出しました。

納品のスケジュールなども考えて、コロナ禍2年目のゴールディンウィークに一気に組み立てるという計画まで立てていました。

 

○○の星の皆さんは、やることがはっきりすると、そのプロジェクトを様々な角度から検討して、創意工夫して実行していく能力が非常に高いことが分かりました。また誰がリーダーというわけでもないのに、各人が作業分担をしていく、チームワークがいいことも分かりました。○○の星の皆さんの目は輝いていました。

 

(つづく)

2026

03.27

3年に渡ったコロナ禍では、他人とマスクなしで会話することや、日常生活空間からの移動が厳しく制限されました。しかし、今考えるとコロナ禍があったからこそ、出会えたというような人の例が皆さんにもいくつかあるのではないでしょうか?私の身近に起きたそんな物語を連載しています。今回は連載2回目です。

 

○○の星物語-2・・・青年たちの笑い声が響く中山間地(ちゅうさんかんち)

 

○○の星のみなさんは、ある時は、1人で、ある時は5~6人でと、皆自由に参加して野良仕事を楽しんでいました。職場の上司が、軽トラックをだしてくれて、牛糞を1杯どこからか調達してきて持ってきたのには驚きました。彼らも本格的に休日の農業?をやり始めました。天気の良い日には、休日の1日をまるまる耕作に励んでいく人もいました。そんな日は、コンビニへお昼弁当を買いに行っているようでした。

1年目は夏からだったので、草を刈って、耕して、畝をつくって、ほうれんそうや白菜やさつまいもなどの野菜にチャレンジしていました。

離れたところにある作業小屋で休憩しているときの青年たちの楽しそうな会話が、我が家にいても聞こえてきていました。A君をはじめとした○○の星のメンバーはその都度異なりますが、農作業のあとには、バスケットしたり、卓球したり、サッカーをしたり、テニスの壁打ちをして帰っていきました。(我が家には、そのような遊べるちょっとしたスペースがあります)

 

また、我が家では、結構独自のイベントがあります。秋には、サンマ焼きパーティ。年末には、先祖代々の石臼を使った餅つき大会。こんなイベントにも、○○の星の皆さんを招待して一緒に楽しみました。

(サンマ焼きパーティでは、フェイスシールドをつけて楽しみました)

 

 

(年末恒例のもちつき大会にも数人参加してくれました)

 

世の中は、ソーシャルディスタンス、ステイホーム、三密回避などで先行き不安な時代でしたが、考えてみると土いじり(農作業)は、精神状態を正常に保つことができる格好のレジャーだということが分かりました。

(秋には落ち葉を集めて、畑でとれたさつま芋を焼いて楽しんでいました)

 

そのうちに、収穫も終わり冬になると、○○の星の皆さんも農作業でやることがなくなり、来なくなりました。コロナ禍も2年目になり、ますます長引くことが明確になり、政府の緊急事態宣言も2回、3回と回を重ねるようになりました。

冬のある日、久しぶりに○○の星の皆さんが、A君はじめ何人か来て片づけなどをしていました。私がお茶菓子をもっていくと、一人が「村松さん、なにかほかに体を動かすことができる作業ないですか?僕たち体がなまっているので、お手伝いしますよ。」と声を掛けてくれました。

そこで私が一考して、「じゃあ、コンクリート打ってみる?」と提案しました。すると、○○の星の皆さん「えっつ、いいんですか?一度コンクリート打ってみたかったんです?やります、やります、教えてください。」

 

へぇー、今どき、こんな青年たちがいるんだという驚きとともに、私もがぜんやる気になってきました。

(次回へつづく)

 

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